2014年3月13日木曜日

第二回 間違った学校選びの話

おはようございます。

スマートソーシャル 酒井です。
本日は私の原点学生時代の事を少しご紹介させていただきます。

お付き合い下さい。

ちっちゃな頃から国語や社会が大好きでした。
そして信じられないくらい手先が不器用。

そんな自分がなんで真逆の素養を求められる高専に進んだかといえば、
それは、エンジニアになりたかった父親の夢をかなえるため。

恥ずかしいくらい主体性がないけど、それが唯一の理由でした。

今ではロボットコンテスト(映画ロボコンにもなりました)を通じて
多少認知が上がったかもしれませんが
それでも高専は非常にマイナーな存在です。

文部科学省によると全国都道府県に国公私立含めて57校、6万人が
学んでいるそうです。

高専は中学卒業してから5年間かけて卒業する。
ですのでざっと計算すると一学年全国に1万2千人。
これに対し高校生は一学年110万人。

シェア約1%

これだけでも充分ニッチな存在ってわかりますよね。

普通の人が3年間の高校生活を送り、そのあと就職、
大学や専門学校へ進学、と言った道を歩むのに対し、
中学校を卒業後、成人するまでの多感な時期の5年間を
同じ環境でずーっと過ごすことになる。

そんな学校です。


5年間の間に、高校の3年間の課程と大学の教養過程は
すっ飛ばして専門過程を詰め込みで履修します。

高校から大学生と同じ内容を学ぶと言えば聞こえがいいですが、
これは本当に促成栽培。

1960年代の高度経済成長期にエンジニアが大量に必要になり、
早く社会に出すために国策で全国に一気につくった、
それが理由だそうです。

我が母校は全国有数の米どころ、豪雪地帯にあります。
周辺の景色は春夏秋は田んぼ。
冬は雪しかない。

去年久しぶりに訪ねたけどこれ、全く同じ光景だった(笑)
入学した30年前とかわんない。

ある意味凄いですよね。

学校ときたらまるっきり工場。多感な青春時代

田んぼ
雪景色
工場(学校)の
往復で過ごすことになるわけです。

しかも生活の大半をしめる授業は苦手なものばかり。
救いは国語と社会の授業だけ。

普通高校から大学進学して私学文系いけよ
という声が聞こえてきそうですが


家計の余裕も
奨学金申請するほどの気合も
機会を創り出す気合や情報

そして一番大事な
主体性も当時の僕には全くなかった。

まして頑固な父親を覆すほどの力も。

日々悶々としながらも部活をやめ、
サークルにも名ばかりで入り、
主体性のない、
毎日を同じようにダラダラ過ごす
絵に描いたようなだれた生活をしてました。

そして自分が将来なんになるかのイメージなんて
全くできなかった。。。

エンジニアを養成する学校に入っているのに、エンジニアに向いてない。
一年生のゴールデンウイーク前にはすっかりわかってしまっていました。


好きな事、得意なこと、学ぶこと、将来の姿、全部チグハグでした。

後にリクルートで学校関係の広報のお手伝いをすることになります。

ここで学んだことで最も大きかったのが、
好きな事
得意なこと
学ぶこと
それから
将来の姿の一貫性。

ここがずれてると学校そして学生ともに
非常に苦しむということを当たり前に知るんですが
当時の僕は知るよしもなかったのです。

                       スマートソーシャル 酒井



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