2017年8月29日火曜日

リクルートOB OG と現役を繋ぐシーガルネットワーク

リクルートOB OG と現役を繋ぐシーガルネットワーク


辞めてからもつながりあい時に助け合う独特な風土を持った会社リクルート。

おそらくあの濃密でお互いに踏み込みまくる独自の時間がそれをつくるのだろう。

それにしても、起業してから死ぬほどその力で助けてもらった。

それに対して自分は何かお返しができてはいるのだろうか?

自分自身の感謝の気持ちをなんとかお返ししたくて、今回サービスを創りました。

名づけて「シーガルネットワーク」

卒業生同士や現役のリクルートに関わりのある方々が仕事で助け合うのに使っていただければとの思いです。

ベータ版ローンチが先週木曜日の夜。
それからFACEBOOKと同窓会のメルマガのみの告知で
あっという間に今日時点で約400人の方にご登録いただけることが出来た。

運営者として心から改めて御礼申し上げます。

そして素敵な出会いもあった。
このサービスを通じて私が退職した後に入社した方と知り合った。


その方は門田次郎さん。2012年にコンサルティングファームからリクルートに入社され、2017年に卒業、今はunder→stand Inc.の代表をされています。

今ここに無い出会いをこれからも創造し、出会えた方々やサービスをもっとみなさんにご紹介できればと思っています。

門田さんのサービスご紹介いたします。
http://understd.co.jp/

戦略コンサルがITママをマネジメントして課題解決というところに私は惹かれた!
ママ活用は空き時間の活用だったり、いきなり人材斡旋だとハードル高かったり自社でも
なかなか難しいなと思っていたのですが、このサービスは
プロジェクトが明確でワンストップで課題解決できればという方にぴったりはまりそうです。

私もお客様にご紹介してみようかと思っています。
門田さん自ら機会を創り出して私に紹介いただきありがとうございました。

PS リクルート卒業生と現役を繋ぐシーガルネットワークは下記のURLから登録が可能です。卒業生の方、現役の方
お気軽にご利用ください。
https://seagullnet.work/



2017年2月4日土曜日

ビジネスで考えたこと。CoCo壱番屋】

久しぶりにCoCo壱番屋にカレーを食べに言った時、店内のその漫画のあまりの多さに驚いた。 私にとってCoCo壱とはカレーのファストフードの 代名詞で、食べたらすぐ出るところだったからだ。 詳しくは本文に譲るが、何故、漫画をおいているのかその秘密が晴れた。 はじめにまずは戦略ありき。美味しいカレーを出す喫茶店がいつかカレーの専門店となり、 そして 日本一のチェーン店となって行く。 ・原点回帰 ・アイドルタイムの有効活用 ・ファストフード型から喫茶型のカレー専門店に ・一番変わったのは、詰め込み型の店舗から、ゆっくりできるように隣の席との間隔を広くしたこと ・ランチのような混み合う時間に、マンガを読んで長居されても困るが、顧客は待っている人を見ると自ら察して席を譲るそうだ。またピークのランチ時では基本的に長居できる暇のある人はそんなに多く来ない。 雰囲気を読む日本という国の事情あってだと思うが実に的を射ている。今度は漫画を読みに行ってみよう。 当然アイドルタイムで、かつカレーの他に飲み物を追加して。 https://www.msn.com/ja-jp/news/money/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%83%81%E3%81%8C%E6%80%A5%E9%80%9F%E3%81%AB%E2%80%9C%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%8C%96%E2%80%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%83%AF%E3%82%B1/ar-AAiRwGS

2017年1月27日金曜日

芸も仕事のうちだった。

新卒の当時の私は 、毎日のように開催される飲み会で
先輩、上司から強要される「芸」が苦痛でたまらなかった。


実は人見知りで人前で何かするのが苦手なので本当に辛いの一言だった。
(いまだに人見知りのところがありパーティなどは苦手なのだが)


ただ、当時の私には拒否する権限などなかった。
周りの同期もみなそうだった。

芸も仕事のうちだった。

ただ、どうも振られやすいキャラとそうでないキャラがあるらしく、
私の場合は圧倒的に前者だった。

最初は振られることに抵抗を覚えつつも、どうせやるならと馬鹿になりきり
全力でやった。時には芸要員と呼ばれながらも。


振られるうちに全力でやるうちにそのうち、人前で話すのが苦痛では無くなった。

おかげさまで、そのうち、キックオフ、宴会の司会が持ち芸にすらなって言った。

同期の相棒と新年会の芸で海老一染之助、染太郎師匠の芸を仕込んだら、思わずご本人登場なんてこともあった。

実は、起業して一番助かったのはその時の私のことを周囲の方がよく覚えていらっしゃったということ。

その時の方々からいろんなお声がけを今、頂いている。

機会というのは与えられた時にこそどうせだったら一心不乱にやるものだ。
今となっては改めてそう思う。

(※ とはいえ弊社メンバーに芸を強いたことはございません。皆さん自発的に創意工夫で楽しまれるので)

2016年4月28日木曜日

「広告のプロ 7つの流儀」

誰もが知っている人の心を動かすCMを手がけられたKさんと仕事をする事になった。
1つ1つの仕事へのアプローチは言わずもがなものすごいのだが、特筆すべきは「言葉」に対する想いだ。

自分自身の仕事を通じて得た価値観を言葉として共有してくださる。特にうちの社員に対して送っていただいた言葉は凄かった。恥ずかしながらご指導いただいてしまったがKさん自信が満ち溢れてる言葉の数々だ。
自称プロは多いがここまで毎回自問できてるだろうか?読み進めるうちに思った。どの業界職種にも通じる言葉だと。Kさんこれからもよろしくお願い申し上げます。


広告業界の仕事のスタンダードクオリティを以下にて共有させて頂きます。
1・発注、指示は1度しか聞けない

2・発注、指示内容はもれなく確実に行うことが当たり前

3・仕事のミスはありえない

4・仕事の精度、クオリティは完璧でなければいけない

5・明らかにおかしなところは気を利かせて直す

6・補足した方がいいことは先回りしてやる&伝える

7・相手に聞かれそうなことは先回りしてリサーチ&確認&報告する

これができて初めて名前を覚えてもらえる、初めて発言できる、初めて存在を認めてもらえるという世界です。限られた時間の中で、情報の精度、仕事の精度を研ぎ澄ますための暗黙のルールですね。

2016年4月25日月曜日

リクルート時代の私のラストボス。
敬愛してやまない小山さんが出版された本をぜひ紹介させていただければと思っております。
Mr.進学と言われとてもダンディな小山さんは一言で言うなら見たまんまのREAL 島耕作。

よく働き、よく遊ぶ。
クライアントに愛され部下に慕われ、酒を愛す方です。
赴任した先々のお客様、部下、触れ合った人々を魅了する小山さんの魅力を感じていただければと思いご紹介させていただきました。

足元にも及びませんがお客様への接し方話し方など小山さんの影響大分私受けておると思います。

巷にリクルート在籍者がリクルート時代の経験武勇伝かたる本は多いですが黎明期ベンチャーに人生を賭して入社し、お客様とともに産業を創られた方の言葉は違います。

本にはないとは思いますが小山さんの私が一番好きなエピソード。

新人時代
会社にかかってきた一本の電話から某青年社長を担当することになった小山さん。

出会いは些細なものでした。

社長と意気投合した小山さんはよく将来の事を語り合っていらっしゃったそうです。

その青年社長は自分で立ち上げた事業として学校向けの学生寮を経営されておりました。
社長を大好きになった小山さんはリクルートが主催するパーティにて社長を学校経営者にご紹介してまわられたそうです。
小山さんのご紹介によりその社長は学校の寮社宅を手がけられ、それを足がかりにのちに一部上場を果たされました。ちょうど大学や専門学校への進学者が増えたタイミングでもありました。

その会社とは。
私もよく利用させていただくドーミーイン等を運営されております共立メンテナンスさんに成ります。

現在。
小山さんは共立メンテナンスさんのグループ会社、日本プレースメントセンターの社長をされています。
会社に迎えられる際、俺は小山をずっとリクルートに預けていたんだとおっしゃった石塚会長の言葉、リクルートの先輩のエピソードに中で一番好きです。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%8D%E5%83%8D%E3%81%8F%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88-%E5%B0%8F%E5%B1%B1-%E5%93%B2%E9%83%8E/dp/4198639361/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1429931096&sr=1-1&keywords=%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%8D%E5%83%8D%E3%81%8F%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88



2015年5月21日木曜日

古い手紙

facebookで過去の投稿を見ていたらこんな文章が出てきました。
およそ4年前。
起業間もないころ、インターン志望の学生に送った文章です。

今見てもつたない文章ですが、すべてはこの一通の手紙から始まりました。
この手紙をみて手を挙げてうちに来てくれた学生が当初、三人。そのうちの一人は
後に弊社の新卒社員となりました。そこからの口コミで働いてくれる仲間も増え、
この4年で社員は20人を超えるまでになりました。
そのうち、半数は僕が社会人になった頃の平成元年、二年の生まれです。

これも何かの縁でしょうか。
さて、また始めていきますかね。




こんにちは
スマートソーシャル株式会社、社長の酒井と申します。

突然ですが、日本の競争力回復につながるお仕事をできる方を探しています

私の会社はスマートフォン、ソーシャルネットワークに特化したエンジニアの紹介とスマートフォン、ソーシャルアプリのマーケティングコンサルを行っています。

私はリクルートでITとマーケティイングをミックスした事業部に在籍後、オリコンで人材事業を立ち上げ、サイバードでBtoBのモバイルマーケティングを行っていました。その経験からスマートフォン、ソーシャルグラフという新しいコミュニケーション手段が日本の国際競争力の向上のために必ずや役に立つと信じ、起業いたしました

奇しくも、創業のタイミングで国難ともいえる日本の状況に面し、今ますますその思いを強くしています。

140年前、日本は競争力の高かった絹織物で海外に乗り出し外貨を獲得しました。その資金で大学を作り、人を育て世界と渡り合いました。また敗戦で傷んだ65年前には、自動車と電化製品を輸出することで復興を果たしました。

これからは日本発で作られるスマホ向けアプリやソーシャルアプリが世界で販売され外貨を稼ぐ時代が目の前に迫ってきています。
この国を導くものはいつの時代も最新の技術力なのです。

このような状況の中、エンジニアが必要なのですが大手企業は集めるのに非常に苦労をしています。逆にエンジニアの方々は直接大手からダイレクトに募集が入らない構造があり、大いにミスマッチが発生しています。

我々はいち早くこの状況に着目し、エンジニアにダイレクトにコンタクトをとる手法を編み出しました。

皆さんにお願いしたいのは、この短期間の間に我々と一緒に大手企業のTOPにお会いし、直接、社会のニーズを伺い、また同時にエンジニアの方に直接伝えるというビジネスを一緒にやっていただきたいということです。

皆さんにとって必ず刺激的で将来にわたって記憶の残る経験ができるものと確信しております!
お会いした際にはさらに詳しいスキームを「直接」ご説明いたします。
皆さんの応募心からお待ちしております


スマートソーシャル株式会社
代表取締役 CEO 酒井禎雄

2015年4月17日金曜日

ホットペッパーを作った人たち

ホットペッパー立ち上げに参加された方からいい話を聞いたので
シェアさせいただきます。
僕は生まれ育った新潟に20年ほどいてそれ以降もっとながく、東京、
大阪、などの大都市圏で働いています。そこで手にする情報はそれこそ
洪水のようにあり、伝え聞いた情報を頭ごなしに信じてしまいがち。
自ら足を運んで、自ら見て、自ら感じ、自らの言葉で伝えていく。
そんなことを思い出しました。


ホットペッパーの準備室で微力ながら立ち上げに関わっていたので、確かに当時のRはこの事業をやるのかどうか揺れていたところはあったと思います。360が赤字だったころ、続けるのか辞めるのかRが悩んでいたころですね。

しかし、各地の現地の多くの女性に直接会い、儲かっている版元長に丹念に話を聞き、360のメディアの再設計をして「これはRとして大義がある」「かつもうかる事業だ」と準備室の多くのメンバーが思えたことが、あの事業がGOに至ったところだと思います。

経営が定義しなくても、現場が市場に直接足を運んで、「これも情報が人を熱くする、という立派なRの事業だ」と定義できる強さが、当時のRの現場にはあったと思います。

実際、私も札幌、仙台、新潟、長岡、横浜、長崎と色んな都市の女性のインタビューを行いましたが、彼女たちにとっては、短い独身時代や、子どもがいない時代が、短い「ハレ」なんですよね。

事務職やサービス職で、手取り14万円とかで。家に5万入れて、貯金して、交通手段も車しかないから、ガソリン代も払うと、手元に残るのはわずかしかない。
その中でやりくりして、呑みに行ったり、美容室に行ったり。
「美容室にあと1回行けたらいいな」
「友達の呑みの誘いを断らずにもう1回行けたらいいな」
そんな彼女たちにとって、ホットペッパーはバラ色のメディア。

プロトタイプの見本誌を見せたら「これ絶対欲しいです!」「いつ出るんですか」「これがあったら地元の生活も楽しくなります」
そういう熱い地方の女性の声が、今でも忘れられません。