2014年3月28日金曜日

第十一回 人生の岐路で落合さんの生き方を思った話

リクルートに入社してから
すぐに卒業後の自分の人生に直面した


自分が自分らしく好きで、楽しく生き生きとかつ社会に貢献できる仕事を行い生きて行くということのためにまずは自分のことについて考えました。
キーワードは「自己実現」です。

私が好きな人物の一人に
落合博満という野球人がいます。
最初の首位打者をとったその年から追っかけてますからかれこれ30年以上のファンです。

巨人戦しか中継のない田舎の片隅
で深夜のプロ野球ニュースを見るのが楽しみ。

ガンガンホームランを観客が全くいない川崎球場のライトスタンドに撃ち込む彼の姿は衝撃的でした。

現役時代は日本プロ野球史上唯一となる、三度の三冠王を達成、2004年から2011年まで中日ドラゴンズ監督として、すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本一に輝いた名将です。

落合さんとお会いしたことはないのですが、ご自身の著書やテレビでのお話、そして30年以上追っかけたものの勝手な私見として、

落合さんにインタビュアーが
「好きなものを仕事にされて良かったですね」

って言うと彼は全く予想もしないリアクションをされると思います。

落合さん
「それは違うな。野球が好きだから仕事にしたのとは違う。
自分が一番好きな事がまずあって、
その一番好きな事を実現するために
一番自分がやりやすくって、
そして結果が出て、毎日やっても苦痛じゃ無くって、経済的にも一番合理的な仕事って考えた結果、それが野球だから仕事に選んだんだよ。
そして、その野球をもっと上手くするために毎日練習をし続けた。
そして結果も出した。
野球をすることで一番大事な自分が自分でいることが出来た。
それが野球が好きって見られることじゃない?」


なんともご本人が言いそうなひねくれたものの言い方ですが笑(褒め言葉)

実に言いそうです。

現役時代、あまりにライトスタンドにホームランを打った彼。インタビューの度にコースを聞かれると

「アウトコース」と一言。

びびったピッチャーがインコースを攻めるたびにこれを仕留めてまたライトスタンドへホームラン。実はアウトコースが苦手な彼は得意なインコースのボールをライトへ(引っ張って)ホームランしていた話。

監督時代は対戦相手の全ピッチャーをチャートに書き出して全試合のシュミレート。一試合一試合ごとに一喜一憂する事をしなかったという人。

常識ではこれから本番前の調整に入るキャンプ初日に実践をさせてふるい分けて行った話。

私が思うに落合さんが「一番好きな事」とは
・プロ野球は結果が求められる競技
・一番大事な結果を出すために何ができるか考え
・世の中で常識と言われていることを疑い
・結果を出すために非常にフラットに時には逆から考え
・考えた事を実践すること

これが一番好きな事じゃないかな、と思います。

つまりご本人の言葉にもありますが

「自分が自分でいること」


そして、それを一言でいうと

「自己実現」

という言葉になるんじゃないかなと思います。

スマートソーシャル 酒井



2014年3月24日月曜日

第十回 起業に至るまで リクルートに入ってまず考えた事

ここまで学生時代と就活を通してどのようにして目標だったリクルートに入社するかを書きました。そしてその目標は達成でき無事入社することができました。

素晴らしいお客様や仲間、上司、先輩との出会いで芽生えた気づきなどはまた別の機会にてお伝えさせて頂きます。

さて、入社したその日から私には新しい目標ができました。
その目標への考察はリクルートを退職するその日まで続きます。片時も私の頭から離れず、常にあったその思いとは



「どのようにリクルートを辞めるのか」でした。


キープヤングを標榜するリクルートでは私が入社する時も事業部長クラスも30代と本当に若々しかった。

独立精神が豊富で起業家の気風にとむ社風。と同時に定年退職を迎えた人がほとんどいない会社。確か現在までも数えるくらいしかいなかったはずです。

ということは転職、起業は常に視野に入れておかなければならない。

確率論の問題ですがほぼそうなるとかんがえました。

何の足がかりもなく、

目の前のチャンスに挑み

自ら機会を求め

考えて入社した私には最初から自分の生き方について常に考える、という癖がありました。

(多分その頃私と過ごした方はびっくりされると思います。そんな雰囲気はおくびにも出しませんでしたが。)

逆に何も考えずその時を迎えて、いきなりセカンドキャリアを考えても自分自身の生きたいようには生きられない。

そんなに甘いものではない。
その日はいつか来る。確実に準備をしておかなければならない。

どのように準備するのか。

仮に起業するにしても、起業自体は一つの手段であってそれを目標としてはいけない。

入社して数年。20代前半で結婚した私は早いタイミングから家族をどう養うかが人生の中で大きな意味を持っていました。

「永遠のゼロ」ではないですが
まずもって生きていかなければならない。失敗は許されない。

また、生きて行く事だけにフォーカスし、
・好きではない事
・向いていない事
・苦手な事

に従事する事は絶対にやめようと考えました。

かえって無理が高じて事は長続きせず失敗するリスクも高まる。

自分が

自分らしく
好きで
楽しく生き生きと

かつ社会に貢献できる仕事を
続けて行きたいと考えました。

自分がしたい事、できる事、するべき事はなんだろう?

そして自分の特性ってなんだろうか?本格的な自分探しの旅が入社のその日から始まったのです。

スマートソーシャル 酒井


2014年3月20日木曜日

第九回 リクルートで学んだ大事なことの話

内定が出てからがは戦いの本番でした。当時は平成バブル全盛時。
元々メーカー就職には異常に強い高専。異業種のリクルートに就職したいっていうこと自体大変なのに、内定でた後からリクルート事件の報道が加熱。全国津々浦々にその知名度を赤マル急上昇させてる最中でした。

今では中学校の教科書とかに載ってるんで大学生のみなさんとかも歴史としてご存知かもしれませんが、そりゃーもう、大変だったんですよ。

全てのメディアが一斉に社名と未公開株譲渡について連呼してました。

毎日、朝昼晩、全チャンネルで連呼される社名はちょっと見たことないです。天下の公共放送でも。

あまりに連呼されるのでついに、社名も勝手に短縮されて
「リ社」
なんて表記されてました。略称でわかるってすごいですよ。
今では誰もが??て感じでしょうけどね。

その露出は一説によると広告費用換算で500億を超えたとか、越えなかったとか。。。

面接直後からキャンペーンはピークへ。その中であえてその会社に行きたいなんて言ったもんですからそれはもう想像を絶する説得や周囲からの奇異な目。

例の就職担当の教授に
「なんでそんな社会悪の会社に行くのか?」

って詰められたり

頑固な父親は
「お前は地元の⚪️⚪️機械に就職するのだ!!」

「⚪️⚪️機械は地域唯一の一部上場だ!」

「あそこはタバコのフィルターを巻く機械を作っているから安定している」

今考えたら凄いことですが、当時はタバコの関連は安定企業の代名詞みたいだったんですね。

ただ私にはそこで働くイメージはわかなかった。
いつまで行っても平行線だったけど、今回だけははじめて自分の意思を押し通しました。

自分の中にうっすら隠れていた、何かをやりたい成し遂げたいって気持ちに火がついたんですね。

「自ら機会を創り出し機会によって
自らを変え」

一歩踏み出したわけです

「入社後」

ほとんどのリクルート関係の方はこの項が長いんでしょうけど、入社前後中心のお話なので出来るだけ簡潔に要素をまとめたいと思います。

当然、いいことも悪いこともありました。思い出は美化されると言いますが、嫌なことですら懐かしい。
何でこんなにコミュニケーションが楽しいんだろうって思う人々の集まりでした。

前向きで、競争心に富んで、おせっかい。朝も早朝からだし、夜は毎日ミッドナイト、しかも飲みMUST。

毎日全員で朝から掛け声。
営業数字の確認はエチケットだし、
日常挨拶は

「お前最近売れてる?」

しかも志願して配属されたのは例の新規事業の中でも新規営業しかしないというその名も開発部。

数字、数字、数字、スピード、スピード、スピード。

いやもう今だったら立派なブラック企業と言うんでしょうか。理不尽なことだらけだったけど好きで、周囲の反対を押し切って入社したのだからそんな事考える気分にもならないわけです。

本気で叱ってくれる上司や、厳しいことをあえて言ってくれる先輩、切磋琢磨するる同期、後輩、部下。
何をするかよりも

「誰とするか」

という自分の原点はここにありました。

ほとんどを営業部署で過ごした事で一番学んだのは

「お客様を知る」

ということでした。

・業種、業態
・売り上げ、利益(簡単な財務諸表)
・従業員数
・取引先(お客様のお客様)
・事業内容
・提供サービス
・競合企業
・競合優位性(強み)

と言った定量的なものから

・成り立ち
・創業者の思い
・社風、風土
・評価基準
・社内コミュニケーションスタイル
・良く使われる社内標準語

と言った定性的なものまで。

大学に行かなかった私の全ての学びの場はそこにありました。

スマートソーシャル 酒井



2014年3月19日水曜日

大八回 東京のど真ん中で面接を受ける

面接会場はNKKビル。

日本の中心地。ぶっつけで面接を受ける田舎もんには十分すぎるくらい、ちびるロケーションにありました。

ただ、だからと言ってあせってもびびっても自分には後がない。想定シミュレーション含めてやることはやった。
あとは自分を出すだけ。

SPI、作文と課題は進みます。テストは拍子抜けするほど想像以上に簡単でした。作文は目をつむっても書ける。

問題の面接。

面接官は後でわかったんですが採用人事部長のAさんとマネージャーのKさん。

両方ともリクルートでは知らぬ人がいない有名人。

採用に命をかけた江副さんが一番力を入れた採用面接。こちらは学生生活、体育会でもなければサークルの長でもまして応援団なんて学校にはない。

ないないずくしとしては求めてる人物像に沿って自分を出しながら質問の意図を汲み取り先回りして答えて行く。

温和な顔のマネージャーKさんに対して苦虫を噛み潰した顔の部長のAさん。質問してくるのはKさんばかりで部長さんは腕組みしたり、履歴書をめくったり閉じたり。

これ、立派な無言の圧迫面接じゃないですか、って今なら言えるがその頃はそんな言葉もなかったし、知らなかった。

一人ロープレは繰り返ししてきたけど、この苦虫噛み潰しリアクションは全くの想定外。上がって当然な状況だけど、後がないので必死に考える。

それでも今客観的にその時の状況を振り返ってみればグダグダだったと思います。
ソフトな質問の中でも
・なぜ、部活をやめたのか。
・サークルで取り組み目指してた事
・勉強への取り組みについて
なんて厳しいところをグイグイついてくる。

それに対して、
・サークルでやった学園祭のイベント、
・友達とチームを組んで課題対策にあたったり先輩から情報収集しテスト対策を役割を振って行なった事で自分自身分析すると、

「一人では大した事ができなかった」

けれども、

「周囲を巻き込んで」皆で目の前の課題に取り組み達成した事。

という事実を自分なりに真摯にお返事しました。そう、自分自身のすべてをさらけだすしかなかった。ダサいなりにも先輩、友達と過ごした日常を思いだしながら「自分自身の言葉」で話しました。


面接が終盤にさしかかって

Kさん「ところで酒井君、なんでリクルート志望したの?」

待ってましたよ。

まさに自分が一番伝えたかった質問が来ました。

あとはもう隻を切ったように今までの感情をぶつけました。

・CMのメッセージにいたく共鳴したこと。

・自分なりに日々問題意識はもって行動しておりそんな姿勢がリクルートなら受け入れてもらえそうなこと。

・新しい価値を世の中に投げかけ世界が変わる姿をみたいこと。

・自分も身を投げ打ってその仕事につきたいこと。

つきつめると
自分自身が一番やりたいと思ったことがリクルートにはあったこと。


一気に話したにもかかわらず丁寧に聞いていただき、そして大きくうなづかれたあとKさんが最後に僕に
そう、何か確認するようにこう聞いてこられました。

Kさん
「ところで、酒井君て友達にとってどんな存在なん?どんな風にみんなに言われてるの?」

「(うつ)。。。。」
想像もしてなかった。
しまったな。。考えたこともなかった。自分は皆にとってどんな存在なんだろう。

グイグイ引っ張ってみんなをまとめて行くリーダーでも、

一目置かれる寡黙な実力者でも

黙って皆を支える縁の下の力持ちでもない。

ここで、とちったらすべてがパーになってしまいかねない雰囲気。

これはもう自分をさらけだすしかない。まっさらな自分を。

「あ、あの、」

Kさん
「どしたー」

「ムードメーカーと言いますか」

Kさん
「いうか?」

「あ、あ、愛されキャラです」

と告げるとKさんは声をあげておお笑いされました。
「ぶわっふぁふぁふぁ!!」

Kさん
「そっか、愛されてるんやなー、それは良かった、えーことやんかー。
うんこれで面接は終わりです。選考結果は学校までお伝えしますね」

あっけない幕引きで面接は終わりました。ただ部長のAさんは最後までほぼ一言も発しず。
(あれから社内報などでAさんの人となりを知りましたが人望厚く皆さんから大変慕われていらっしゃったそうです。)

大手町から東京駅までどうやって帰ったかもどうやって新幹線にのったかもまったく覚えてません。
ただその時窓の外から見た夕焼けが本当に悲しい色だった。

自分の人生このままどうなってしまうんだろうってただひたすら悲しくなったことを覚えています。

今でも新幹線に乗っての夕方。北に向かうともうだめですね。。


しばらくして学校あてに採用内定の電話が入るのですが聞いた瞬間にあっけに取られて気が抜けたことだけを覚えています。

スマートソーシャル 酒井


2014年3月18日火曜日

第七回 リクルート面接の戦略に基づく実践準備編

早速
Oさんとの電話による情報交換でリクルートが求めている人物像を分析し始めました。

求められる人物像と言ってもすぐにはわからないので、

ともかくOさんが上司、先輩から
日常受けられてるご指導と言うなの

「小言」

を聞き出しました。

ご指導ワード
「目標行くの?いくらまで行の?」
・これは目標指向性。
私の思い
(課題や試験、自分が苦手なところは周りのできる友達を巻き込んで
チームを組みレポート提出やテスト対策、自分で決めたことは全てクリアしてきた。その事実と元々は超負けず嫌いって事も伝えよう。)


ご指導ワード
「それっていつまでにやるの?」
・時間管理。
(レポートなど時間に追われるのは
嫌なので自分で締め切りも前倒して自分で決めていた。
いつまでにどのくらいのアウトプットを出せるかを常に意識しておかなければダメだ)

ご指導ワード
「何のためにそのアポあんの?
何しに行くの?だれに会うの?」
・行動の理由の特定。
(何のためにそれをやっているのかを常に聞かれる。考えて動くことが大事なんだ。)

その他、日常コミュニケーションについては

・元気
挨拶は
「うぃっす」「うぃっす」
体育会でハキハキしてる。
姿勢正しく。挨拶は全ての基本
(江副さんが応援団や体育会の主将を企業の方に採用するよう推奨していた。)

・聞かれたことに答える
コミュニケーション能力に
非常に重きをおくので、打って響くようでないとそもそも大丈夫?ってことになる。

・聞かれたことに
「考えて」答える。何も考えず単にノリで答えていると
当たり前だが単なるバカと思われる。皆、受験戦争を勝ち抜いているので自然にロジカルシンキングができてる。

ここまで収集し、

作文、面接、SPI(テスト)が
あるって聞いてましたので、
入社動機の作文は何回も
書き直して短時間でバッチリかけるように訓練しました。

面接は
自分自身で
イメージトレーニングをし、作文の志望動機と合わせて自分が入社した場合にどのくらいの貢献ができそうかをいろんな方向でシミュレーションしました。

SPIだけは
当時、地元の本屋に問題集売ってるわけでなく、ネットもないところで
出たとこ勝負。
性格診断の他に国語や数学が出ると聞いたのでこの点、基礎学力でダメであればそもそもしょうがない、
自分には無理だったんだと腹をくくりました。

そして面接に臨んだわけです。

会場は皇居のお堀の端。ジャイアンツの選手が年俸更改するパレスホテルの向かい。

NKKビル。

鉄は国家なり。

鉄鋼大手のビルを半分借りている。

しかも場所は日本の中心地大手町。

田舎もんには十分すぎるくらいのシュチュエーション。

ニッポニアニッポンとは
我が故郷、新潟は佐渡に生息するトキの学術名ですが、

大手町

そこは日本の中の日本だったわけなんです。

スマートソーシャル 酒井


2014年3月15日土曜日

第六回 リクルート入社のために立てた戦略の話

どうしても
リクルートに入りたい、
人生を変えたいと思っていた私

その結果たどり着いた戦略は

「リクルートが求めている人間とは何か徹底的に分析する」

というものでした。

自己アピールの前に先方のニーズありき、という考え方です。

プロダクトアウトではなく
マーケットイン。


これ、意外と分かっていない学生さん、(大人の方も)多いかと思うのですが、

採用というのは、
売り手市場買い手市場とありますが

いくら売り手市場であったとしても
必要ない人間は、採らない。

構造からすると
企業が学生を選ぶのですから、
当然欲しい人物像は定まっていて
そのふるい分けをしていくものと
考えます。

難関大学が「求めるべき学生」を
「入試問題」で絞り込む形に似ていますね。

私は選んでもらうしかない立場だったから自然とその事に気づいてました。

(当時はとんでもないバブルで
学生さんたちを奪い合い、拘束旅行に連れて行くなんて当たり前って事
入社して始めて知りましたが。。)

ところで
企業って同業種でも個別にまったく性格違うと考えます。

商社希望とか、
銀行志望とか
IT系志望とか
業種で志望で丸ごとエントリー
で志望する、
個人的には全く違うと思います。

繰り返しになりますが、全部が違う会社。

官僚的だったり、自由闊達だったり、

違いって普通にあります。

小学校出たての丁稚さんが社長の家に寝泊まりし皆で家族のように商品を作った会社。

世の中に無い物を俺たちが創って
世界にうって出るぜって意気込んだエンジニアがおこした会社。

同じく大企業になった今
一見して違いはわかりませんが

求めるべき人物像、
評価の手法、
育成手法
コミュニケーションスタイル

なにから何まで

全く違う。


二人と同じ人間いないようにそれも個性。

いい、悪いという事ではなく、
志望する人間もそこを間違えると
採用される可能性の低い就職活動をしたり

最悪
入社してから自分の性格に合わずに苦しむことになる。
早期第二新卒の多くの原因はそこにあるのではないかと考えます。

もちろん
これは後々いろんな事を学んで
分かった事でした。

官僚的できっちりやらなければいけない伝統的な会社に天衣無縫な人物が入社。

自分カラーで破天荒な事をして
周りを巻き込む。

これって漫画としては痛快ですが、
リアルの会社で起こった場合、普通に事件です。

逆にベンチャーマインドがバリバリ求められる会社に官僚タイプの大手経験者が行くと仕事全くしない人
って風になってしまうんですね。

大手とベンチャーにおける
仕事の内容、質、評価のポイント
は全く違います。

話がそれましたが

私が就職活動にたてた大戦略
「リクルートが求めている人間とは何か徹底的に分析する」

を噛み砕くと

1・自分にあった会社を選ぶ
先輩から生の情報入手。
自分と合っている人が望ましい。

2・情報に基づき対策を講じる
人、風土、評価方法、志望理由・会社が求めていることを先回りし分析

3・プレゼンを個別に組立てる。
自分がどのように貢献できるかイメージし、プレゼンする。

となります。

これは営業と一緒ですね。


25年前の学生が考えることとしては
はなじらむくらいあざとい感じですが、そのくらいしないと
リクルートでは営業できないと考えました。

私はあくまでリクルートで営業をしたかったのです。

スマートソーシャル 酒井

第五回 リクルートの入社試験前の試練の話


さて、
先輩の熱くて、暑いガイダンスを受け
私をはじめとして熱に浮かされたような面々は何人かいました。

そして次々面接に
東京まで出かけて行きました。

ただ、私の前に面接を受けた人間は全員落ちてしまった。

やはり実力主義はだてじゃない。

よほどのことがないと
入れない会社だと始めてシビアな
社会の一面にふれました。

私はといえば、
大学に編入して欲しい、という
父親との戦いに手こずってました。

高専は東大や東工大と言った超名門への編入以外にも受け皿として技術科学大学というものを全国に幾つか持って
おり、そこへの編入が一般的コースでした。

私の地元長岡にもその一つがある。

ところが

ここでもし編入なんて受け入れてしまえばそれこそ、本当にもう自分自身が
一番苦手な事を一生の仕事にしなければいけない。

必死でした。

なんとか親を説き伏せ教授にリクルート就職面接のための推薦状をもらいにいくとこれはこれで就職担当の教授はカンカンになっている。

高専は大学の専門過程を学んだ促成栽培のエンジニアを短卒と同じ給与で提供する。しかも田舎の子達ばっかりなので擦れてない。

学力(カリキュラムベース)一緒で
低コストコスト、素直とくるなら、
費用対効果に厳しいメーカーや
ゼネコンにとってはありがたい存在

しかも数が少ないときてるから
金の卵。

ここに就職率の異常なる高さの秘密があったわけです。
(通常、教授の推薦があれば落とされることはほとんどない)

無学で子供の将来を案じた父親が
高専進学にこだわったのも
この就職率の高さがあったから。

平成バブル直前の当時
ただでさえ売り手市場なのに、
金の卵がバンバン落とされる。

しかもニュースでは
リクルート事件が報道されかかっている。

そんなタイミング。

教授
「酒井君、
失礼じゃないですかリクルートさんって会社は。私、教師生活25年以上やってますが、このような失礼な対応を企業の方にされたことはないですよ」

「はあ、すいません。。。。。
(てか、僕のせいじゃないんだし)」

教授「他にこんな会社はどうですか?
地元に大手の関連会社が
こんだけあるじゃないですか?

君、こんな大手に入ったらそれこそ一生安定だよ」

教授の手元には
大手家電の関連会社や、外資系メーカーの会社案内が山と積まれていました。

教授
「こんないい会社がいっぱいあるのに、なんでテレビのニュースに
でてるところに敢えて好き好んで行くの?

しかも、私の推薦した子達をどんどん落として本当に失礼だ!!(怒り心頭)」

私「先生、ご紹介、ありがとうございます。だけど僕、営業がしたいんです」

教授
「なんですと。それならほれ、
こちらの経理機器メーカーは君、営業の募集があるぞ。

しかも業界大手だ。

これこれ
(ポンポンと会社案内をたたく)
ここはどうですか。いいと思いますよ。家電大手の系列だし。」

私「先生、、、、

ぼくはリクルート、リクルートで、

営業したいんです」

教授
「営業なんか
どこでもできるんじゃないかね。
リクルートでなくても。

これこれ、
こっちの工具メーカーは営業が強いぞ、関西系だし」

私「ぼくはリクルートで
新しい価値を生み出す新規事業の
営業がしたいんです!(キッパリ)」

教授
「なんですと!!(激怒)君も頑固で失礼だ!全く聞く耳を持ってない。

わかりました。いいでしょう。
一回だけ君の推薦状を書きましょう。

ただしね、君、
もし仮に、リクルートさんの面接に落ちても僕は二度と推薦状は書かないからね。覚悟をしておきない!」

書き殴った推薦状に捺印をし、
教授は私に渡しました。

真っ赤な顔の教授に私は一礼すると、研究室を後にしました。後ろを振り返らずに。

大学に編入もせずに、
しかも一発勝負の実力主義、滑り止めなし。

まさにガチンコ。

試験を受けに行く新幹線の中
故郷の光景を見ながら、背水の陣の意味を思うのでありました。

その時先生にご紹介いただいた
幾つかの会社はリーマンショックや家電不況など様々な理由で私の地元から撤退するなど色々ありました。

さて、いくら能力、
実力主義の会社を受けると言っても素手で戦うのは愚者の選択。

背水の陣ではありますが、当たって砕けるというは、これは作戦ではありません。

「永遠のゼロ」ではないですが
こちら生きて帰ることしか考えてない。

とにかくリクルートの入社面接に受からないことに人生が変わらないのであります。

先ほどのS先輩と連絡を取りながら選考対策を練りました。何しろアピールポイントがあまりにもない。

かと言って
嘘をついても多分すぐにメッキが
はがれるだろう。。

その結果たどり着いた戦略は

「リクルートが求めている人間とは何か徹底的に分析する」

というものでした。

スマートソーシャル 酒井



第四回 リクルートに入社しようと意気込むあたり

スマートソーシャル 酒井です。
諸々反響頂きありがとうございます。

お付き合いのほど宜しくお願いいたします。


「情報が人間を熱くする」
というとてつもなくかっこいいCMにすっかり心をうちぬかれた私。

単純なんですが、田舎の高専生には全く何をしてる会社かわからない。

ただ、ただ、短いそのCMから私が勝手に受け取ったメッセージは
「人の想いが世の中を動かし、新しい価値そして世界を創っていく」でした。

この会社には何かがある!
とりあえず、ネットも何もなかった時代、学校の就職部においてあった会社がいっぱい載ってる本をかたっぱしにめくりました。

メーカーやゼネコン満載の本の巻末に、他の広告主に遠慮するようにそっとその会社は載っていました。

その時始めて、この本をリクルートが発行していると知ったんです。

間抜けですね。

今はリクナビにその役割を譲ったリクルートBOOK高専生版との出逢い、今から26年前の話です。

リクルートが何をやってる会社か知ったのがリクルートBOOKという嘘のような本当の話。

当時、リクルートは情報誌メインの事業形態から一大投資を行い情報通信事業に打って出ていた。

それまでの文系中心の採用から必然的に理系が必要となってくる。

全国の名門大学に向けて理系の採用活動を一気に始めていた。

ただとてつもなく大きな事業なのでやはりどうしても、もっと数が欲しい。全国の高専生にも採用の門戸が一気に開かれたタイミングでもあったわけです。

幸い一年前にに入社していた先輩がいらっしゃった。剣道部の主将Oさんです。

OB訪問に来られたOさんのお話を聞く機会がありました。

剣道部中心に興味がある人間が車座になって話を聞く。皆の目は真剣そのもの。

当時流行のDCブランドの麻のスーツに身を包んだOさんは都会的で、とても眩しかった。

だけど、飛び出してくる話の方はもっと眩しかった。

曰く、リクルートでは
Oさん
「若くても仕事を任せてもらい、言い出しっぺが仕事をする。」

(すごい、なんてリベラルなんだ。バイト先で高圧的な態度で意見すら言えない経験でいらいらしたことあるんでこういった環境自分に向いてる)

Oさん
「能力主義で、性別学歴関係なし。
しかし評価ははっきりしている。」

(逆に他の会社は学歴が最優先なのかな?
男女雇用機会均等法って施行されてるのに性別で仕事の振り分けって
そんなことあんの?)

Oさん
「高専卒でも大学卒と横並びで営業職につける。」

(これが大きい。
エンジニアには向いてないし、人と接するのが好きだし、世の中に新しい価値を伝える仕事がしたい。どうせ営業するならよりメリハリが効いてる会社の方がいい。)

Oさん
「新規事業に貪欲で世の中にないサービスを生み出して行く」

(家電はSONY、車はHONDA、革新的な企業が大好きだ!)

Oさん
「この度、
新規事業として回線事業、スーパーコンピュータの事業に乗り出した。」

(なんかよくわかんないけどニュースに出たやつだ)

Oさん
「今後の情報は紙の時代から通信の時代になる。」

(本がなくなるの?電話回線で本を読むの?)

Oさん
「回線と情報誌が融合する。回線を通じて情報誌の内容を伝えていくビジネスに変わって行くのだ。」

(なんか凄そう。よくわかんないけどおじさんの会社で見たファクシミリの
事かな?
それともこの前、信金の人が腰につけてたポケベル?
なんかわかんないけど
トンデモなくワクワクするぞ!)

特に最後の部分は創業者である江副さんの強い意思であると聞かされ、
CMを見て湧いた感情がさらに沸騰してきました。

新しい世の中が生まれる。
僕もその輪に加わりたい!!

今から考えると
「回線と情報誌の融合」
って

これ、
今のインターネットの事じゃ
ないですか!!
これを予見していた江副さんて凄い。

やっぱり天才だ!

というわけで
入社し、だいぶ経って
ある時江副さんの腹心だった
Sさんにそっとこの話を
確認してみました。

「回線と情報誌が融合」
する世界を予見してた
江副さんて天才ですよねーー

Sさん
「なになに?
回線と情報誌の融合?なんやそら? 

いやー、江副さん、
そんなことまったくいってへんかったけどなー。

ただ単に、この事業、いける、
儲かる、そやから皆やるーでー
いう感じやったでー」

「がくっ」

ま、、、
得てして神話や伝説って
周囲が広げてくってことで。

むしろ勝手に神話が生まれるくらいじゃないとダメなんですけどね。


ところで、
新しい価値を世の中に回線と情報誌が融合なんていうとんでもない話を
聞いて気分高揚、すっかり燃え上がった私に

さらに駄目押しをしたOさんの
素敵な言葉。

Oさん
「いいかー、お前ら、
会社の場所は華の銀座だ!

ほんでもって女子社員比率も高い。
会社は女子で一杯だぞ!

仕事の後は、毎日飲み会だ。
楽しいぞー(爆笑)」







はい。。
すみません。

人間なんて弱いものですよね。

僕らの学科は2クラス、80人。全部男だったんです。
15歳から20歳までずーっと同じ環境。


工場(学校)、田んぼ、雪から
すぐにでも逃げ出したかったんです。(言い訳)


僕の目の前にはすっかり東京の華の銀座の夜景が広がってました。


そこがどんなところか、
まだ見たことすらないのに。。

ちなみにOさん
おっしゃるとおり毎日飲み会でしたが、それはそれは
ハードな試練がございまして。。。


合コンとは参りませんので念のため。。

この項詳細はまた別の機会にて。


スマートソーシャル 酒井



2014年3月14日金曜日

三回 リクルートとの運命の出会いの話

おはようございます。
スマートソーシャル 酒井です。
今日はリクルートとの出会いについてです。

ネットもましてケータイもなかったあの時代、
どのようにして出会ったのか?

25年前の話。お付き合いください。


当時、全く主体的になれず、全ての事に後ろ向きでした。

授業が好きになれない。
学校もやめたい。
毎日逃げたい気分で一杯。
今、自分が一番嫌いな他責の感情。

本当に時間の無駄遣いをしていたと思います。

できることならその時代に戻って自分を叱り飛ばしたい。
心からそう思います。

バイトはそれなりにしてましたが、
将来の仕事に繋げる職業観の意識なんてものはない。
稼いだお金を遊びに使うだけ。

本当に何も考えていなかった。
恥ずかしい限りです。

今なら、就活でアピールポイントがない学生になりますね。

ダラダラ過ごしながらも自分は、現状のリセットを
決断する勇気も無かった。

何よりも入学を喜んでくれた親の笑顔から逃げられなかったんです。

今では親となり
(申し遅れましたが、大学生と高校生の娘がいます。)

「将来選びにアドバイスしよう」
などと偉そうなことを言っておりますが、
彼女たちの方が恐ろしく主体的で、目標を持った進路選びや
学生生活をしてます。

親バカ丸出しですが当時の自分を振り返っても断言できます。

そして長女は自分の好きなことをつらぬいて私学文系に通ってます。
奇しくも僕が憧れていた学校に。

さて。
ダメダメだった学生生活ではありますが、
たった一点だけ自信があったのは人付き合い。

自分で言うのはなんですが誰とでも「仲良く」してました。

体育会のやつや帰宅部のやつとも。満遍なく。
誰とでも。

「共通の話」

がすぐに出来た。というのが自分の中の
小さな自慢でした。

そんな僕でもエンジニアになろうと努力もしました。
根は真面目なんです。

専攻は、機械工学。
機械科だから設計と製図は命。
これが無ければ機械は生まれないのです。

卒業を控えたある日の課題にポンプ設計の課題が出ました。

ポンプって皆さん、知ってますか?
すっごい繊細なんですよ。
流体力学、機構学、構造力学そう言った機械の学問の集大成。

不器用ながらに図面を引いて、連日徹夜で設計。

課題で本物のポンプを作るわけにはいかないので
設計終了後、ポンプのデータを
パソコンのシミュレーションソフトにかけて
教授に評価をもらう。


自分では最高にがんばったつもり。




ああ、それなのに



パソコンの画面の中で僕のポンプは爆発してしまった。

僕はその単位をおとしました。

そんな頃です。
あのCMにであってしまったのは。

「リクルートとの出逢い」

1988年、昭和最後の年。

 学生最後の夏、数週間だけそのCMは放映されたようです。
タイミング悪く、リクルート事件の影響ですぐに打ち切られました。

だけれども。

その当時入社した方と話をするとほぼ全員が覚えている。
それほど受けた印象は強烈でした。

大好きだったナイターの試合開始前。

スポットにそのCMは流れました。
コンテンツは2つ。

ケネディ元アメリカ大統領とアポロ宇宙計画。

BGMはイーグルスのデスペラード(ならずもの)
初めて見た瞬間から雷に打たれたようになりました。

40代でアメリカの若き指導者となった、
ジョンFケネディ。

彼の情熱、その人の元に人が集まり、力となり、
世の中を変えて行く。
一瞬に凝縮された彼の人生。

そしてその彼が人生を捧げて指導したニューフロンティア計画。
アポロ宇宙旅行、月面着陸。
僕らが今使ってる電卓よりも脆弱な演算処理技術で
月を目指す。
パイロットの家族の不安そうな顔、手に握られたロザリオ。
そして歓喜の成功。

二つに共通していたのは人を動かす想い、情熱。
わずか十数秒の映像にそのすべてが注ぎ込まれていた。

感動的なバラードにつつまれたエンディングにのって
さしこまれた一言は

「情報が人間を熱くする」

最後の最後に空を飛んで行くカモメのマークまで
素敵でいっぺんに心を掴まれてしまった。

田舎の高専生には全く何をしてる会社かわからない。
ただ、ただ、短いそのCMから
僕が勝手に受け取ったメッセージは

「人の想いが世の中を動かし、
新しい価値そして世界を創っていく」

なんなんだこの会社は。この会社には何かがある!

鬱々とした毎日に光がさしたような気持ちになったことを
昨日のように覚えています。


            スマートソーシャル 酒井

2014年3月13日木曜日

第二回 間違った学校選びの話

おはようございます。

スマートソーシャル 酒井です。
本日は私の原点学生時代の事を少しご紹介させていただきます。

お付き合い下さい。

ちっちゃな頃から国語や社会が大好きでした。
そして信じられないくらい手先が不器用。

そんな自分がなんで真逆の素養を求められる高専に進んだかといえば、
それは、エンジニアになりたかった父親の夢をかなえるため。

恥ずかしいくらい主体性がないけど、それが唯一の理由でした。

今ではロボットコンテスト(映画ロボコンにもなりました)を通じて
多少認知が上がったかもしれませんが
それでも高専は非常にマイナーな存在です。

文部科学省によると全国都道府県に国公私立含めて57校、6万人が
学んでいるそうです。

高専は中学卒業してから5年間かけて卒業する。
ですのでざっと計算すると一学年全国に1万2千人。
これに対し高校生は一学年110万人。

シェア約1%

これだけでも充分ニッチな存在ってわかりますよね。

普通の人が3年間の高校生活を送り、そのあと就職、
大学や専門学校へ進学、と言った道を歩むのに対し、
中学校を卒業後、成人するまでの多感な時期の5年間を
同じ環境でずーっと過ごすことになる。

そんな学校です。


5年間の間に、高校の3年間の課程と大学の教養過程は
すっ飛ばして専門過程を詰め込みで履修します。

高校から大学生と同じ内容を学ぶと言えば聞こえがいいですが、
これは本当に促成栽培。

1960年代の高度経済成長期にエンジニアが大量に必要になり、
早く社会に出すために国策で全国に一気につくった、
それが理由だそうです。

我が母校は全国有数の米どころ、豪雪地帯にあります。
周辺の景色は春夏秋は田んぼ。
冬は雪しかない。

去年久しぶりに訪ねたけどこれ、全く同じ光景だった(笑)
入学した30年前とかわんない。

ある意味凄いですよね。

学校ときたらまるっきり工場。多感な青春時代

田んぼ
雪景色
工場(学校)の
往復で過ごすことになるわけです。

しかも生活の大半をしめる授業は苦手なものばかり。
救いは国語と社会の授業だけ。

普通高校から大学進学して私学文系いけよ
という声が聞こえてきそうですが


家計の余裕も
奨学金申請するほどの気合も
機会を創り出す気合や情報

そして一番大事な
主体性も当時の僕には全くなかった。

まして頑固な父親を覆すほどの力も。

日々悶々としながらも部活をやめ、
サークルにも名ばかりで入り、
主体性のない、
毎日を同じようにダラダラ過ごす
絵に描いたようなだれた生活をしてました。

そして自分が将来なんになるかのイメージなんて
全くできなかった。。。

エンジニアを養成する学校に入っているのに、エンジニアに向いてない。
一年生のゴールデンウイーク前にはすっかりわかってしまっていました。


好きな事、得意なこと、学ぶこと、将来の姿、全部チグハグでした。

後にリクルートで学校関係の広報のお手伝いをすることになります。

ここで学んだことで最も大きかったのが、
好きな事
得意なこと
学ぶこと
それから
将来の姿の一貫性。

ここがずれてると学校そして学生ともに
非常に苦しむということを当たり前に知るんですが
当時の僕は知るよしもなかったのです。

                       スマートソーシャル 酒井



2014年3月12日水曜日

第一回 ~学生時代から最初の会社リクルートに就職するまで~

皆さんこんばんは
スマートソーシャル 酒井と申します。

みなさんはリクルートって会社にどんなイメージをお持ちですか?
僕はリクルートで20年近く働いてきました。本当にいろんな人にお世話になりました。

世の中にリクルート現役卒業生の方が語った本はあまたあるし、
人材輩出企業と言われ、ビジネス雑誌にもしょっちゅう取り上げられていますよね。

僕のお知り合いも沢山登場されてます。
しかし、その実態や中で過ごした人たちのとりわけ入社前、退職後の体験談って
あまり聞いたことがないんじゃないかなって思いました。

全てここで学んだって話は多いんですけどね。

で、自分なりの入社前、入社後の体験談をまじえながらその辺りを
綴ってみようと考えました。

主体性がないばかりに学校選びに失敗
悶々とする日常の中
とあるきっかけでリクルートと出会い
つまづきながら
自分を見つめ直し、40歳で仲間を得て起業するに至りました。

今は新宿でスマートソーシャルって小さな会社を経営しています
ここに至るまで自分が学んだことや、経験させていただいたこと
ご紹介できればってしたためてみました。

少しずつ書き進めていきたいと思います。

私見ですが、プロ野球選手同様、辞めてから長いのが殆どの
リクルートの社員の人生。

これは、今時の言葉でいえば意識の低い学生であった僕が
ひょんなことからリクルートに出会い、
考えることを覚え、
もがきながら
自分を探し続けている話です。

入社前と退職後にフォーカスして書く予定です。

ちなみに起業したからと言って成功しているわけではなく
試行錯誤の毎日ずっと続いてるわけです。

それではお付き合いください。



                                         スマートソーシャル 酒井




新宿で働く40代で起業した社長です

こんにちは。
新宿で3年前の震災の3日前に起業した40代の社長です。
日々悪戦苦闘しながら、仲間に支えられながら一歩一歩
少しずつですが前進していっています。

このブログでは、日々気づいたことと、
自分自身の半生を振り返りながら、
学生時代のこと
就職して企業に入ったこと、
会社員時代に出会った人々

そして
起業に至ったことと
そして、その後起こった日常のことを
少しずつ紹介していければと考えています。

それではよろしくお願い致します