2014年4月17日木曜日

第十四回 人生最大の仕事のパートナーを見つけた話

起業のための仲間探しに二回転職をしました。

エンタメのオリコンとモバイルのサイバードです。
大好きだったエンタメとモバイルの仕事。
それぞれ、人に恵まれて本当に大事な出会いが沢山ありました。

最終的に人生最大のパートナー二人はサイバードで見つかりました。

その二人の名は沼田と小田倉。
それぞれ私より10歳、9歳年齢は違いますが、感性や志は一緒でした。

沼田はYahoo!JAPANの新卒一期生で一言で表現すれば、

「課題意識とバイタリティの塊」

ビジネスに対する姿勢は前のめりすぎるぐらいで集中しすぎると
周囲の音も聞こえなくなるほど。
持ち前の課題意識解決のスタンスで情報収集し顧客の潜在的課題を先回りして設定し、課題策まで「自分ごと」として熱意をもって提案する。

ですからクライアントからの評価も絶大でメガバンクを筆頭にナショナルクライアントの信頼をガッチリつかんでいる。
いわゆるどこに行っても生きていけるタイプで、かつ、世代的にネット周りの知人が非常に多い。

小田倉は日立系のSIRからサイバードに転身後はモバイル一筋。
後半はPMとして大事なお客様の案件を一手にひきうけるまさに技術のキーマン。

風貌からしてザッツエンジニアですが、彼の真骨頂はたぐいまれな「課題解決力と人間味」寡黙な風体でクライアントの悩みを包み込み、課題解決までの道筋を先回りして用意してあげる。ほとんど不可能とも思える課題感も納期、クオリティとも落としたことなく確実に結果を出す

独立した今でも彼を指名でお客様が相談に来られる、そんなスーパードクターKそのものの存在です。

そして私の最大の強みは「愛されキャラ」を生かしたリクルート内外の人脈です。

特にリクルート時代は先輩後輩問わず、とにかく誰とでも仲良くするようにしてきました。

いずれ外に出て外部の人となった時に気持ち良くあってもらえるために。

そして自分自身の強みは「愛されキャラ」を生かした人と人のマッチングだと思っておりましたので盟友を得て、今こそ、その時が来たのです。

私は最高の能力を持つ、沼田、小田倉を私の大切なお客様や先輩後輩に紹介でき、課題解決出来ることに身震いを覚えたことを記憶しています。

タイミングはちょうどスマートフォンが世の中に出始めたタイミングでした。

今までのガラケーから、世界標準のフォーマットのスマートフォンにいずれ切り替わる。

その時、企業のマーケティングはスマートフォンをフルに使ったものになる。

つまり、SNSに代表される「ソーシャルネットワーク」や「スマートフォンアプリ」が主力だ。来るべきその日のために最先端のアプリ開発のノウハウとマーケティングのノウハウを貯めて、企業のマーケティングをお手伝いしたい。

20年以上前に田舎のTV で見たリクルートのCMのように新しい価値で世の中を変えていく。

私はすっかり燃え上がっていました。

その時、もう社名は決まったも同然です。

創った会社はスマートソーシャル株式会社

新しい一歩はそのようにして踏み出されたのでした。
スマートソーシャル 酒井

http://www.smartsocial.co.jp/company/

2014年4月9日水曜日

第十三回 何を目的の転職かという話

落合さんの生き方をモデルに
自分が自分らしく
好きで楽しく生き生きと
かつ社会に貢献できる仕事を続けて行きたいと考えました。

自分がしたい事、できる事、するべき事はなんだろう?

ただ漠然と考えていてもわからない。
人間、自分のことが特にわからないものです。

ですので今まで生きてきた中で
仕事を通じてとにかく嬉しかったことを
思い出しました。

新人で入社してから嬉しかったことといえば

・営業で他の人と違う自分なりの業界を発掘し鼻が利くと褒められたこと。
・新商品を企画し、立ち上げ、販売したこと。
・企画したマーケティング手法が全社横断プロジェクトに採用され新規事業となったこと。
・自ら考えた広告コンセプトを提案しお客様のマーケティングスタイルを変えたこと。
・自分が携わった仕事で人生が変わったとエンドユーザーの方に聞いたこと。

自分なりのやり方で「新しい価値」を提案し、それが受け入れられ、貢献できた時に
喜びを見いだすということがわかってきました。
そして自分自身の経験から可能性を閉ざされた人たちに「機会」を紹介する仕事がしたいとも強く感じました。この思いは当然今も変わっていません。

自分のしたい事はおよそ定まりましたが、肝心なのはどの場所で
それをするかです。

落合さんの人生の話じゃないですが、ステージ選びを間違えると大変な事になる。
楽しすぎて結局18年もリクルートに居続けましたので私はとうに不惑を超えておりましたし
子供も二人おりました。ここに来ての失敗は許されない。

ですので、入社の時と同様に過去事例から分析をし、どのようにしたら良いかを考えました。

リクルートの先輩たちのセカンドキャリアのパターンは以下のようになります。

転職パターン
A:大手有名企業に華麗なる転身。
B:ベンチャーに転身でIPO目指す(起業含む)
C:老舗企業のイノベーションのお手伝い(社長の片腕)
D:クライアントへ転身


そして以下が独立パターン
E:凄腕フリーコンサルタントとして独立
F:起業 会社
G:起業 飲食店

そもそも特に能力がなかった私が仕事ができたのも、とんでもなく優秀な
周囲のリクルートの人々に支えていただいていたから。
この事は在籍中から強く感じていました。ですので単純にAからDの転職をし、
自分の能力で勝負し生きて行くというのはあまりに危険だと感じました。
特に社外の方のリクルートOBに対する印象とか評価はそもそも総じて高いのです。
自分の良さはリクルートという土台で「周りに支えられていた」から発揮できていた、
というのは入社時から変わらない気持ちでした。

ですので、EからGなんですが、性格的にEでもない。まして料理なんてからっきし。
消去法の中でFと決めたのですが、やることも定まらないFは愚の骨頂。

そこで、逆転の発想でFを実現するため、一緒にやれる「仲間を探し」に
転職しようと決めました。

ただ、仲間を探すと言っても自分にもセールスポイントがないと困ります。
自分の最大のセールスポイントは誰からも嫌われない

「愛されキャラ」

でリクルート在籍中にその強みで築いた「先輩後輩のネットワーク」でした。
そしてそれは起業以来、ずっと私を助けてくれています。
自分の強みを最大限に活かすための旅立ちを始めたのです。

スマートソーシャル 酒井


2014年4月1日火曜日

第十二回 自己実現はどこでする?を考えた話

私が考えた
落合さんが「一番好きな事」とは
「自己実現」で

・プロ野球は結果が求められる競技
・一番大事な結果を出すために何ができるか考え
・世の中で常識と言われていることを疑い
・結果を出すために非常にフラットに時には逆から考え
・考えた事を実践すること

これがいわゆる
「俺流」
と言われ、時に嫌われることになるのではないでしょうか。

でなければ能力を嘱望されながら何回もいじめで高校大学で野球部の入退部繰り返すはずがない。
そして大学はついに中退してしまった。

「自己実現」するための道を探し続け、そしてその事が一番好きな事なんじゃないかな、と思います。

切り口を変えれば、自己実現を叶えるための手段が仮に一般ビジネス、IT開発、クリエイティブでもそれが他の何よりも出来たとすれば好きな仕事になったと思います。

余談ですが、落合さんは大学中退した後プロボウリング選手になろうと行った試験会場で交通違反をし、反則金の支払いで試験を受けれず、東芝府中で野球を続けることができたと。
当時社会人の中で同じ東芝グループでも弱小だった府中は彼の「俺流」
そう、「自己実現」を叶えるとしては「最高の場所」だったのです。


そして、彼は熱狂的なガンダムマニアでもあります。センスあったらアニメの仕事してたかもしれませんね。

ちなみに落合さんは79年にプロ野球に入りました。日本のプロ野球史上最大事件と言われる「江川事件、空白の一日」のあの年です。

この年、ジャイアンツはすったもんだの挙句、ドラフト会議をボイコット。
その実現しなかったドラフト指名の二位の欄には彼の名が。

後に彼は成功した後にジャイアンツに入団しますがあのまま新人入団していたらどうだったでしょうか?

規律と伝統を重んじ、異端を容易に認めない日本最高の歴史を持つ球団の「社風」では勝手に常識をゼロベースにする彼は単なる結果も出てないのに「変な奴」で終わったのでは無いのでしょうか。

そして運命のいたずらで入団したロッテは閑古鳥のなく川崎球場を本拠地とする野武士集団。プレーする選手より観客が少ないなんてことも。
ただそれでも彼のやり方は上層部から大分批判されたようです。
それでも活躍のチャンスがあったのは巨大な戦力を有するジャイアンツと違い「層が薄かった」からだそうです。使わざるを得なかったんですね。

彼が自己実現できたのも結果がともなったからで、「目先の仕事で結果を出し」「信頼を勝ち得て」いかなければそもそも「自己実現」なんてできないという話です。

その事を考えながら「どの場所」で何を成し遂げるかを考え続けました。

スマートソーシャル 酒井