2015年4月17日金曜日

ホットペッパーを作った人たち

ホットペッパー立ち上げに参加された方からいい話を聞いたので
シェアさせいただきます。
僕は生まれ育った新潟に20年ほどいてそれ以降もっとながく、東京、
大阪、などの大都市圏で働いています。そこで手にする情報はそれこそ
洪水のようにあり、伝え聞いた情報を頭ごなしに信じてしまいがち。
自ら足を運んで、自ら見て、自ら感じ、自らの言葉で伝えていく。
そんなことを思い出しました。


ホットペッパーの準備室で微力ながら立ち上げに関わっていたので、確かに当時のRはこの事業をやるのかどうか揺れていたところはあったと思います。360が赤字だったころ、続けるのか辞めるのかRが悩んでいたころですね。

しかし、各地の現地の多くの女性に直接会い、儲かっている版元長に丹念に話を聞き、360のメディアの再設計をして「これはRとして大義がある」「かつもうかる事業だ」と準備室の多くのメンバーが思えたことが、あの事業がGOに至ったところだと思います。

経営が定義しなくても、現場が市場に直接足を運んで、「これも情報が人を熱くする、という立派なRの事業だ」と定義できる強さが、当時のRの現場にはあったと思います。

実際、私も札幌、仙台、新潟、長岡、横浜、長崎と色んな都市の女性のインタビューを行いましたが、彼女たちにとっては、短い独身時代や、子どもがいない時代が、短い「ハレ」なんですよね。

事務職やサービス職で、手取り14万円とかで。家に5万入れて、貯金して、交通手段も車しかないから、ガソリン代も払うと、手元に残るのはわずかしかない。
その中でやりくりして、呑みに行ったり、美容室に行ったり。
「美容室にあと1回行けたらいいな」
「友達の呑みの誘いを断らずにもう1回行けたらいいな」
そんな彼女たちにとって、ホットペッパーはバラ色のメディア。

プロトタイプの見本誌を見せたら「これ絶対欲しいです!」「いつ出るんですか」「これがあったら地元の生活も楽しくなります」
そういう熱い地方の女性の声が、今でも忘れられません。