2017年8月29日火曜日

リクルートOB OG と現役を繋ぐシーガルネットワーク

リクルートOB OG と現役を繋ぐシーガルネットワーク


辞めてからもつながりあい時に助け合う独特な風土を持った会社リクルート。

おそらくあの濃密でお互いに踏み込みまくる独自の時間がそれをつくるのだろう。

それにしても、起業してから死ぬほどその力で助けてもらった。

それに対して自分は何かお返しができてはいるのだろうか?

自分自身の感謝の気持ちをなんとかお返ししたくて、今回サービスを創りました。

名づけて「シーガルネットワーク」

卒業生同士や現役のリクルートに関わりのある方々が仕事で助け合うのに使っていただければとの思いです。

ベータ版ローンチが先週木曜日の夜。
それからFACEBOOKと同窓会のメルマガのみの告知で
あっという間に今日時点で約400人の方にご登録いただけることが出来た。

運営者として心から改めて御礼申し上げます。

そして素敵な出会いもあった。
このサービスを通じて私が退職した後に入社した方と知り合った。


その方は門田次郎さん。2012年にコンサルティングファームからリクルートに入社され、2017年に卒業、今はunder→stand Inc.の代表をされています。

今ここに無い出会いをこれからも創造し、出会えた方々やサービスをもっとみなさんにご紹介できればと思っています。

門田さんのサービスご紹介いたします。
http://understd.co.jp/

戦略コンサルがITママをマネジメントして課題解決というところに私は惹かれた!
ママ活用は空き時間の活用だったり、いきなり人材斡旋だとハードル高かったり自社でも
なかなか難しいなと思っていたのですが、このサービスは
プロジェクトが明確でワンストップで課題解決できればという方にぴったりはまりそうです。

私もお客様にご紹介してみようかと思っています。
門田さん自ら機会を創り出して私に紹介いただきありがとうございました。

PS リクルート卒業生と現役を繋ぐシーガルネットワークは下記のURLから登録が可能です。卒業生の方、現役の方
お気軽にご利用ください。
https://seagullnet.work/



2017年2月4日土曜日

ビジネスで考えたこと。CoCo壱番屋】

久しぶりにCoCo壱番屋にカレーを食べに言った時、店内のその漫画のあまりの多さに驚いた。 私にとってCoCo壱とはカレーのファストフードの 代名詞で、食べたらすぐ出るところだったからだ。 詳しくは本文に譲るが、何故、漫画をおいているのかその秘密が晴れた。 はじめにまずは戦略ありき。美味しいカレーを出す喫茶店がいつかカレーの専門店となり、 そして 日本一のチェーン店となって行く。 ・原点回帰 ・アイドルタイムの有効活用 ・ファストフード型から喫茶型のカレー専門店に ・一番変わったのは、詰め込み型の店舗から、ゆっくりできるように隣の席との間隔を広くしたこと ・ランチのような混み合う時間に、マンガを読んで長居されても困るが、顧客は待っている人を見ると自ら察して席を譲るそうだ。またピークのランチ時では基本的に長居できる暇のある人はそんなに多く来ない。 雰囲気を読む日本という国の事情あってだと思うが実に的を射ている。今度は漫画を読みに行ってみよう。 当然アイドルタイムで、かつカレーの他に飲み物を追加して。 https://www.msn.com/ja-jp/news/money/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%83%81%E3%81%8C%E6%80%A5%E9%80%9F%E3%81%AB%E2%80%9C%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%8C%96%E2%80%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%83%AF%E3%82%B1/ar-AAiRwGS

2017年1月27日金曜日

芸も仕事のうちだった。

新卒の当時の私は 、毎日のように開催される飲み会で
先輩、上司から強要される「芸」が苦痛でたまらなかった。


実は人見知りで人前で何かするのが苦手なので本当に辛いの一言だった。
(いまだに人見知りのところがありパーティなどは苦手なのだが)


ただ、当時の私には拒否する権限などなかった。
周りの同期もみなそうだった。

芸も仕事のうちだった。

ただ、どうも振られやすいキャラとそうでないキャラがあるらしく、
私の場合は圧倒的に前者だった。

最初は振られることに抵抗を覚えつつも、どうせやるならと馬鹿になりきり
全力でやった。時には芸要員と呼ばれながらも。


振られるうちに全力でやるうちにそのうち、人前で話すのが苦痛では無くなった。

おかげさまで、そのうち、キックオフ、宴会の司会が持ち芸にすらなって言った。

同期の相棒と新年会の芸で海老一染之助、染太郎師匠の芸を仕込んだら、思わずご本人登場なんてこともあった。

実は、起業して一番助かったのはその時の私のことを周囲の方がよく覚えていらっしゃったということ。

その時の方々からいろんなお声がけを今、頂いている。

機会というのは与えられた時にこそどうせだったら一心不乱にやるものだ。
今となっては改めてそう思う。

(※ とはいえ弊社メンバーに芸を強いたことはございません。皆さん自発的に創意工夫で楽しまれるので)

2016年4月28日木曜日

「広告のプロ 7つの流儀」

誰もが知っている人の心を動かすCMを手がけられたKさんと仕事をする事になった。
1つ1つの仕事へのアプローチは言わずもがなものすごいのだが、特筆すべきは「言葉」に対する想いだ。

自分自身の仕事を通じて得た価値観を言葉として共有してくださる。特にうちの社員に対して送っていただいた言葉は凄かった。恥ずかしながらご指導いただいてしまったがKさん自信が満ち溢れてる言葉の数々だ。
自称プロは多いがここまで毎回自問できてるだろうか?読み進めるうちに思った。どの業界職種にも通じる言葉だと。Kさんこれからもよろしくお願い申し上げます。


広告業界の仕事のスタンダードクオリティを以下にて共有させて頂きます。
1・発注、指示は1度しか聞けない

2・発注、指示内容はもれなく確実に行うことが当たり前

3・仕事のミスはありえない

4・仕事の精度、クオリティは完璧でなければいけない

5・明らかにおかしなところは気を利かせて直す

6・補足した方がいいことは先回りしてやる&伝える

7・相手に聞かれそうなことは先回りしてリサーチ&確認&報告する

これができて初めて名前を覚えてもらえる、初めて発言できる、初めて存在を認めてもらえるという世界です。限られた時間の中で、情報の精度、仕事の精度を研ぎ澄ますための暗黙のルールですね。

2016年4月25日月曜日

リクルート時代の私のラストボス。
敬愛してやまない小山さんが出版された本をぜひ紹介させていただければと思っております。
Mr.進学と言われとてもダンディな小山さんは一言で言うなら見たまんまのREAL 島耕作。

よく働き、よく遊ぶ。
クライアントに愛され部下に慕われ、酒を愛す方です。
赴任した先々のお客様、部下、触れ合った人々を魅了する小山さんの魅力を感じていただければと思いご紹介させていただきました。

足元にも及びませんがお客様への接し方話し方など小山さんの影響大分私受けておると思います。

巷にリクルート在籍者がリクルート時代の経験武勇伝かたる本は多いですが黎明期ベンチャーに人生を賭して入社し、お客様とともに産業を創られた方の言葉は違います。

本にはないとは思いますが小山さんの私が一番好きなエピソード。

新人時代
会社にかかってきた一本の電話から某青年社長を担当することになった小山さん。

出会いは些細なものでした。

社長と意気投合した小山さんはよく将来の事を語り合っていらっしゃったそうです。

その青年社長は自分で立ち上げた事業として学校向けの学生寮を経営されておりました。
社長を大好きになった小山さんはリクルートが主催するパーティにて社長を学校経営者にご紹介してまわられたそうです。
小山さんのご紹介によりその社長は学校の寮社宅を手がけられ、それを足がかりにのちに一部上場を果たされました。ちょうど大学や専門学校への進学者が増えたタイミングでもありました。

その会社とは。
私もよく利用させていただくドーミーイン等を運営されております共立メンテナンスさんに成ります。

現在。
小山さんは共立メンテナンスさんのグループ会社、日本プレースメントセンターの社長をされています。
会社に迎えられる際、俺は小山をずっとリクルートに預けていたんだとおっしゃった石塚会長の言葉、リクルートの先輩のエピソードに中で一番好きです。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%8D%E5%83%8D%E3%81%8F%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88-%E5%B0%8F%E5%B1%B1-%E5%93%B2%E9%83%8E/dp/4198639361/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1429931096&sr=1-1&keywords=%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%8D%E5%83%8D%E3%81%8F%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88



2015年5月21日木曜日

古い手紙

facebookで過去の投稿を見ていたらこんな文章が出てきました。
およそ4年前。
起業間もないころ、インターン志望の学生に送った文章です。

今見てもつたない文章ですが、すべてはこの一通の手紙から始まりました。
この手紙をみて手を挙げてうちに来てくれた学生が当初、三人。そのうちの一人は
後に弊社の新卒社員となりました。そこからの口コミで働いてくれる仲間も増え、
この4年で社員は20人を超えるまでになりました。
そのうち、半数は僕が社会人になった頃の平成元年、二年の生まれです。

これも何かの縁でしょうか。
さて、また始めていきますかね。




こんにちは
スマートソーシャル株式会社、社長の酒井と申します。

突然ですが、日本の競争力回復につながるお仕事をできる方を探しています

私の会社はスマートフォン、ソーシャルネットワークに特化したエンジニアの紹介とスマートフォン、ソーシャルアプリのマーケティングコンサルを行っています。

私はリクルートでITとマーケティイングをミックスした事業部に在籍後、オリコンで人材事業を立ち上げ、サイバードでBtoBのモバイルマーケティングを行っていました。その経験からスマートフォン、ソーシャルグラフという新しいコミュニケーション手段が日本の国際競争力の向上のために必ずや役に立つと信じ、起業いたしました

奇しくも、創業のタイミングで国難ともいえる日本の状況に面し、今ますますその思いを強くしています。

140年前、日本は競争力の高かった絹織物で海外に乗り出し外貨を獲得しました。その資金で大学を作り、人を育て世界と渡り合いました。また敗戦で傷んだ65年前には、自動車と電化製品を輸出することで復興を果たしました。

これからは日本発で作られるスマホ向けアプリやソーシャルアプリが世界で販売され外貨を稼ぐ時代が目の前に迫ってきています。
この国を導くものはいつの時代も最新の技術力なのです。

このような状況の中、エンジニアが必要なのですが大手企業は集めるのに非常に苦労をしています。逆にエンジニアの方々は直接大手からダイレクトに募集が入らない構造があり、大いにミスマッチが発生しています。

我々はいち早くこの状況に着目し、エンジニアにダイレクトにコンタクトをとる手法を編み出しました。

皆さんにお願いしたいのは、この短期間の間に我々と一緒に大手企業のTOPにお会いし、直接、社会のニーズを伺い、また同時にエンジニアの方に直接伝えるというビジネスを一緒にやっていただきたいということです。

皆さんにとって必ず刺激的で将来にわたって記憶の残る経験ができるものと確信しております!
お会いした際にはさらに詳しいスキームを「直接」ご説明いたします。
皆さんの応募心からお待ちしております


スマートソーシャル株式会社
代表取締役 CEO 酒井禎雄

2015年4月17日金曜日

ホットペッパーを作った人たち

ホットペッパー立ち上げに参加された方からいい話を聞いたので
シェアさせいただきます。
僕は生まれ育った新潟に20年ほどいてそれ以降もっとながく、東京、
大阪、などの大都市圏で働いています。そこで手にする情報はそれこそ
洪水のようにあり、伝え聞いた情報を頭ごなしに信じてしまいがち。
自ら足を運んで、自ら見て、自ら感じ、自らの言葉で伝えていく。
そんなことを思い出しました。


ホットペッパーの準備室で微力ながら立ち上げに関わっていたので、確かに当時のRはこの事業をやるのかどうか揺れていたところはあったと思います。360が赤字だったころ、続けるのか辞めるのかRが悩んでいたころですね。

しかし、各地の現地の多くの女性に直接会い、儲かっている版元長に丹念に話を聞き、360のメディアの再設計をして「これはRとして大義がある」「かつもうかる事業だ」と準備室の多くのメンバーが思えたことが、あの事業がGOに至ったところだと思います。

経営が定義しなくても、現場が市場に直接足を運んで、「これも情報が人を熱くする、という立派なRの事業だ」と定義できる強さが、当時のRの現場にはあったと思います。

実際、私も札幌、仙台、新潟、長岡、横浜、長崎と色んな都市の女性のインタビューを行いましたが、彼女たちにとっては、短い独身時代や、子どもがいない時代が、短い「ハレ」なんですよね。

事務職やサービス職で、手取り14万円とかで。家に5万入れて、貯金して、交通手段も車しかないから、ガソリン代も払うと、手元に残るのはわずかしかない。
その中でやりくりして、呑みに行ったり、美容室に行ったり。
「美容室にあと1回行けたらいいな」
「友達の呑みの誘いを断らずにもう1回行けたらいいな」
そんな彼女たちにとって、ホットペッパーはバラ色のメディア。

プロトタイプの見本誌を見せたら「これ絶対欲しいです!」「いつ出るんですか」「これがあったら地元の生活も楽しくなります」
そういう熱い地方の女性の声が、今でも忘れられません。

2015年3月31日火曜日

リクルート入社して26年目の気づき

先日、リクルート時代の先輩と会食させていただく機会があった。
会食という名の飲み会は在籍中からもしょっちゅうあり、
最近は同窓会という名で、大規模のパーティなども頻繁にある。

パーティはともかく、ある程度の人数の飲み会も年甲斐もなく大騒ぎに
なることが当たり前で(自分も率先してはいるが)とてもゆっくりと話を
する雰囲気でもない。

その日も、ともすると思い出話と大騒ぎになりそうな中、仕事の相談をしながら、
どうしてもその先輩に聞いてみたかったことをきりだしてみた。


「どうして先輩はあんなに大型受注を挙げられたのか?」

大型受注をあげられながら私が入社そこそこの時期にスタッフに
異動された先輩にお話をうかがうタイミングを逸し、26年ぶりの率直な質問であった。


新卒で配属された事業部は企業むけに通信回線を提案する事業部だった。
オーナーの江副さんの肝いりで、新規事業として若手社員を中心に1000人以上の人員が投入され
一気にマーケットシェアを奪い取って行く最中だった。

私たちが入社した平成元年には営業も一息つき、営業の絶対数と見込み顧客の数も
逆転し営業が飽和し営業マン同士の社内バッティングが日常茶飯事だった。

今でいうところのレッドオーシャンだろうか。見込みのあるお客様は社員数と営業拠点数が電話回線に比例する
ので皆が狙い撃ちする。

だからおのずと営業対象先も限られてくる。

我々新人営業マンの仕事といえば早朝深夜ぼろぼろになった帝国年間をコピーすることからはじまる。
いかに旧人が営業していない手垢のついていなお客様にアタックできるか?日夜同期で議論を重ねたものだ。


そんな中、その先輩は地方の大手企業の大型受注をドンドンきめていた。

当然地方にもうでききの営業マンがおり、日夜アプローチをかけている。
また、東京のTOP営業マンたちも隙あらば地方に出張をかけねらってくる。
お客様にたどり着く前に社内の競争に勝たなければという状況だったのだ。

なぜ彼女だけあんなにも決められたのか?

26年ぶりに教えてもらった種明かしは実に明快なものだった。

1・東京には大企業、そして本社も多いが競合(社内外も含めて)も多い。
2・お客様は断るのが仕事になっている
(売れない営業はその中で何回もアプローチすることに満足)
3・そこで地方の大手企業をターゲティング(ここまではやる人もいる)
4・地方の大手企業本社にはその人しかわからない社内電話回線のヌシの人がいる
5・そのヌシの人が防波堤になり営業マンをストップする(自分の仕事を邪魔させないため)

つまり、そのヌシの人を(気持ちよくさせたまま)突破しなければ受注はあり得ない。

そこで先輩がとられた手は
6・東京をはじめ大都市の支社長あてに営業する
7・支社長は自分自身の仕事ではなく決定権がないものの、選りすぐりのエリートである。
8・彼らはやがて本社に帰り経営層になるべく鍛えれれており問題意識が高い。
  つまり、総務にアタックしたら後回しにされる通信コストの削減も彼らにとっては
 (=利益貢献)となり、売り上げを何倍にもあげるほどのインパクトを持つのだ
9・そのため支社長は喜んで通信量の把握に協力することになる

その後、先輩は
支社長の協力を取り付け、通信量を把握し、全社の通信料金のシミュレーションを行い
その結果莫大なコスト削減(=利益貢献)を明確にしたうえで、ヌシの人に会いに行く。

会社の通信設備に一生を捧げ、守り抜いた彼の会社への利益貢献という名の手柄にしたうえで
決済を上げさせる。

なんとすごい戦略だろうか。


1・敵がいないところにアポを取り
2・後々、会社を支える人々(理解力もあり、スピードも速い)を味方につけ
3・エリートである彼らの協力のもとに、現場の超キーマンの手柄にして敵を作らずGOALまで一直線

彼女がこの仕事をまとめたのは新入社員であり当時の上司も7年目(30歳前後)だというのだ。

私ははたとはしを落とし、その驚きに言葉がなかった。
そしてそのあと彼女が言った言葉がさらに衝撃的だった。

「この話ってガルコン(社内論文)に書いてて、それで賞もらったんだよ。有名な話。読まなかった
私のガルコン」

・・・・・・・・

我、見れども見れず。当然読んでいたはずだが、当時の自分がいかに何も考えていなかったかと同時に
形だけをまねしようとしていたことが分かった。
物事の本質を今一度見つめてそのれに対し真摯に対峙していこうと26年ぶりに思いました。

M先輩、気づきをいただきありがとうございます。

2014年10月17日金曜日

自分に向いてる仕事とは

リクルートの時に若手からなぜこの部署に配属になったか
聞かれたことがある。その時は答えることができなかったが
ある時人事の同期にズバリ聞いて見たことがある。

人事の見解は一言「運」だった。

考えてみれば当たり前で、会社対会社の係争を取り扱う
法務のような特殊な部署を除けば学んだ学部学科など
ほとんど配属の参考にはされず、事業のニーズに何人の
新卒を配属できるかという業務に於いて一人一人の
向き不向きなぞ斟酌していては成り立つはずもないのだ。

仕事に向き不向きはない。
あるのは仕事に立ち向かえる自分がいるかどうかだ。

配属されたいろいろな仕事で
出会った「困難」の中にこそ
新しい経験、知識、人間関係それを通した
成長した自分と言った宝物が隠れている。

世界の黒澤明監督が本当は絵が好きで絵描きに成りたかったがつけたのが映画の仕事で監督を目指した、と言う有名な話もある。

向き不向き、好き嫌いなどという事を論じる前に
目の前の同僚、上司、パートナーの信頼をいかに得れるかに
考えを寄せて欲しい。

小さな成功はあなたの自信となり更に自分自身の仕事への探究心となって
くるであろう。

あなたはその時思うはずだ

この仕事が好きで向いている、と。





2014年9月30日火曜日

リクルート新卒で教わった話 ビジネスは何を言うかより 誰が言うか

売れなかった25年前の新卒時代当時。
悶々としていた私に当時の上司先輩が教えてくださった言葉。
それを弊社社員用にまとめてみました。


「ビジネスは何を言うかより
誰が言うか」

・同じ事を言っても聞いてもらえるかどうかはその人との信頼関係による

・信頼関係は目の前の仕事の積み重ね。相手の期待を裏切るか少し超えるかで大きな差になってくる

・信頼関係を逸した後は何を言っても取り返せない。

・信頼残高がどれくらい高くできるかどうかがポイントだ。

・ポイントは思いやりを持ったまめさ。

・相手にとって痒いところに手が届くような
「気配り、目配り、心配り」
は必ず、信頼という形になってあなたにかえってくるだろう。

もう少し具体的に言えば
お客様を訪問する時あなたはその会社のことを把握しているだろうか?
・従業員数、売り上げ、沿革、商品と言ったものはもとよりその会社の
現状、NEWS。
最低限知らずに会話するのは失礼の極みだ。
また、今日の面談の目的目標はなんだろう?お互いのメリットは?
そして相手の方のバックボーンや立場とは?

常に意識して取り組んだらどうだろうか?
自分が変われば視点が変わり
視点が変われば気配り、目配り、心配りが変わり
その結果、相手の方への信頼残高高まり、自分に還ってくる。

繰り返すが、自分の尺度で決して判断しないこと。
「メール送ったらみといてよ」、と

売り込んでくる営業マンがそんな感じだったら
あなたはどう感じるだろうか?

定型文のコピペと思わしきお祈りメール送られた気分はいかがだろうか?

僕らの相手しているのは人間。何を言うかより
誰がいうか

常に意識して行こう

2014年6月12日木曜日

第十六回 仲間に恵まれた話


会社を設立して3年以上が経ちました。

大手中心にいた自分には考えられないほどの色々な経験をすることが出来ました。
設立の準備をし、ようやく登記も済んだその三日後に未曾有の震災を経験しこれから
どのようにしていけばいいのかと途方にくれたこともありました。

最初に始めた「WEB大手」「ソーシャルゲーム大手」にアプリの開発ができる「ハイエンドの技術者」を紹介して行く仕組みも
いい時ばかりではなく、お客様の顔ぶれの変化やマーケットの移り変わりで信じられないくらいの浮き沈みを経験しました。

人材と受託から始めた事業も、ソーシャルゲームの絵の受託から、広告代理、戦略PRまで領域を拡大し、
アプリでマーケティングを行いたいお客様にワンストップでお手伝いをしていく、という起業を志した際に
思い描いたものもだいぶ形になってきました。

気がつけば仲間も増え、いつしか20人を超えるまでになりました。


その仲間も様々な縁があり加わってもらったのです。
半数は新卒の子たちで口コミで仲間が仲間を呼ぶ形で集まってくれました。

私自身は強い個性で皆を引っ張るタイプではありませんので、どうしたら皆に気持よく
働いてもらえるか、仲間として魅力的な「場」を提供できるかを常に考えていました。


先日、小学館の大辞泉の広告のあなたの言葉を辞書に載せよう、というキャンペーンに
に応募したところご採用頂き、日経朝刊の全面に私の言葉が掲載とあいなりました。


お題はあなたにとって社長とは。

「夢を持ち、その夢に共感し一緒に航海してくれる自分より優れている
仲間を探す仕事。彼らの能力に、素直に共感できる感性が必要。」

本当にずっとそう思っております。
これからもずっと一緒に航海してもらえる夢に共感いただける仲間、随時募っておりますので皆様引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。


これでこの項は終わり、次回以降は日々の気付きについて書かせていただきます。



2014年5月16日金曜日

第十五回 起業の事業内容を決めた話

最高の能力を持つ、沼田、小田倉という盟友を得て、企業のマーケティング活動にスマートフォンやソーシャルメディアを駆使するビジネスモデルを提案していこうと思いました。


タイミングはちょうどスマートフォンが世の中に出始めたタイミングでした。
今までのガラケーから、世界標準のフォーマットのスマートフォンにいずれ切り替わる。

その時、企業のマーケティングはスマートフォンをフルに使ったものになる。
つまり、SNSに代表される「ソーシャルネットワーク」や「スマートフォンアプリ」
が主力だ。来るべきその日のために最先端のアプリ開発のノウハウとマーケティングの
ノウハウを貯めて、企業のマーケティングをお手伝いしたい。

ただし、仮説に基づく提案営業となると足が長い。
起業とは刻々と消費されるコストと得られる収益の足し算引き算しかないと思っておりましたので、先ずはなんとしても「収益」が確定することをしなければならない。

我々の資本は微々たるもので、しかも三人とも結婚をして家族もいます。

企業のマーケティングを「ソーシャルネットワーク」や「スマートフォンアプリ」でお手伝いする事業目的とし、そのために出来ること、するべきこと、確定しなければならないことをまとめました。

・仕入原価が発生しない
・在庫が発生しない
・支払いの前に入金が確定し、キャッシュフローを毀損しない
・企業のニーズがまず発生し、発生したニーズを解決する方法を考える。
(仮説提案営業は時間がかかるものなのです。。。)

・今、ナショナルクライアントのマーケティングの主力はWEBもしくはガラケーでスマフォやソーシャルはまだまだ。
・しかしながらリクルートさんや楽天さんそしてサイバーエージェントさんと言ったWEB大手企業は既にアプリをマーケティングの中心にすべく開発に着手している。

(端末がガラケーからスマフォに移行すれば確実にアプリがマーケティングの主戦場になる)
これは図らずも当時一番売れてたのがGREEさんの釣りゲーム(WEB)だったのがガンホーさんのパズドラに取って代わられたことが証明しております)

上記を鑑みて、たどり着いたビジネスモデルはアプリでマーケティングを行う「WEB大手」にアプリの開発ができる「ハイエンドの技術者」を紹介して行く仕組み 。

となりました。能力がありながら機会や人脈に恵まれないエンジニアの方と
ニーズがありながら解決できるハイエンドのエンジニアさんがいない大手との
マッチングを果たすことになります。


学生時代、自分に向いていないエンジニアの勉強を悶々としながら
自分の人生を模索していた私にとっては自ら機会を見つけれない方に
いい機会を提供したい、という一番やりたかった仕事でもありました。

2014年4月17日木曜日

第十四回 人生最大の仕事のパートナーを見つけた話

起業のための仲間探しに二回転職をしました。

エンタメのオリコンとモバイルのサイバードです。
大好きだったエンタメとモバイルの仕事。
それぞれ、人に恵まれて本当に大事な出会いが沢山ありました。

最終的に人生最大のパートナー二人はサイバードで見つかりました。

その二人の名は沼田と小田倉。
それぞれ私より10歳、9歳年齢は違いますが、感性や志は一緒でした。

沼田はYahoo!JAPANの新卒一期生で一言で表現すれば、

「課題意識とバイタリティの塊」

ビジネスに対する姿勢は前のめりすぎるぐらいで集中しすぎると
周囲の音も聞こえなくなるほど。
持ち前の課題意識解決のスタンスで情報収集し顧客の潜在的課題を先回りして設定し、課題策まで「自分ごと」として熱意をもって提案する。

ですからクライアントからの評価も絶大でメガバンクを筆頭にナショナルクライアントの信頼をガッチリつかんでいる。
いわゆるどこに行っても生きていけるタイプで、かつ、世代的にネット周りの知人が非常に多い。

小田倉は日立系のSIRからサイバードに転身後はモバイル一筋。
後半はPMとして大事なお客様の案件を一手にひきうけるまさに技術のキーマン。

風貌からしてザッツエンジニアですが、彼の真骨頂はたぐいまれな「課題解決力と人間味」寡黙な風体でクライアントの悩みを包み込み、課題解決までの道筋を先回りして用意してあげる。ほとんど不可能とも思える課題感も納期、クオリティとも落としたことなく確実に結果を出す

独立した今でも彼を指名でお客様が相談に来られる、そんなスーパードクターKそのものの存在です。

そして私の最大の強みは「愛されキャラ」を生かしたリクルート内外の人脈です。

特にリクルート時代は先輩後輩問わず、とにかく誰とでも仲良くするようにしてきました。

いずれ外に出て外部の人となった時に気持ち良くあってもらえるために。

そして自分自身の強みは「愛されキャラ」を生かした人と人のマッチングだと思っておりましたので盟友を得て、今こそ、その時が来たのです。

私は最高の能力を持つ、沼田、小田倉を私の大切なお客様や先輩後輩に紹介でき、課題解決出来ることに身震いを覚えたことを記憶しています。

タイミングはちょうどスマートフォンが世の中に出始めたタイミングでした。

今までのガラケーから、世界標準のフォーマットのスマートフォンにいずれ切り替わる。

その時、企業のマーケティングはスマートフォンをフルに使ったものになる。

つまり、SNSに代表される「ソーシャルネットワーク」や「スマートフォンアプリ」が主力だ。来るべきその日のために最先端のアプリ開発のノウハウとマーケティングのノウハウを貯めて、企業のマーケティングをお手伝いしたい。

20年以上前に田舎のTV で見たリクルートのCMのように新しい価値で世の中を変えていく。

私はすっかり燃え上がっていました。

その時、もう社名は決まったも同然です。

創った会社はスマートソーシャル株式会社

新しい一歩はそのようにして踏み出されたのでした。
スマートソーシャル 酒井

http://www.smartsocial.co.jp/company/

2014年4月9日水曜日

第十三回 何を目的の転職かという話

落合さんの生き方をモデルに
自分が自分らしく
好きで楽しく生き生きと
かつ社会に貢献できる仕事を続けて行きたいと考えました。

自分がしたい事、できる事、するべき事はなんだろう?

ただ漠然と考えていてもわからない。
人間、自分のことが特にわからないものです。

ですので今まで生きてきた中で
仕事を通じてとにかく嬉しかったことを
思い出しました。

新人で入社してから嬉しかったことといえば

・営業で他の人と違う自分なりの業界を発掘し鼻が利くと褒められたこと。
・新商品を企画し、立ち上げ、販売したこと。
・企画したマーケティング手法が全社横断プロジェクトに採用され新規事業となったこと。
・自ら考えた広告コンセプトを提案しお客様のマーケティングスタイルを変えたこと。
・自分が携わった仕事で人生が変わったとエンドユーザーの方に聞いたこと。

自分なりのやり方で「新しい価値」を提案し、それが受け入れられ、貢献できた時に
喜びを見いだすということがわかってきました。
そして自分自身の経験から可能性を閉ざされた人たちに「機会」を紹介する仕事がしたいとも強く感じました。この思いは当然今も変わっていません。

自分のしたい事はおよそ定まりましたが、肝心なのはどの場所で
それをするかです。

落合さんの人生の話じゃないですが、ステージ選びを間違えると大変な事になる。
楽しすぎて結局18年もリクルートに居続けましたので私はとうに不惑を超えておりましたし
子供も二人おりました。ここに来ての失敗は許されない。

ですので、入社の時と同様に過去事例から分析をし、どのようにしたら良いかを考えました。

リクルートの先輩たちのセカンドキャリアのパターンは以下のようになります。

転職パターン
A:大手有名企業に華麗なる転身。
B:ベンチャーに転身でIPO目指す(起業含む)
C:老舗企業のイノベーションのお手伝い(社長の片腕)
D:クライアントへ転身


そして以下が独立パターン
E:凄腕フリーコンサルタントとして独立
F:起業 会社
G:起業 飲食店

そもそも特に能力がなかった私が仕事ができたのも、とんでもなく優秀な
周囲のリクルートの人々に支えていただいていたから。
この事は在籍中から強く感じていました。ですので単純にAからDの転職をし、
自分の能力で勝負し生きて行くというのはあまりに危険だと感じました。
特に社外の方のリクルートOBに対する印象とか評価はそもそも総じて高いのです。
自分の良さはリクルートという土台で「周りに支えられていた」から発揮できていた、
というのは入社時から変わらない気持ちでした。

ですので、EからGなんですが、性格的にEでもない。まして料理なんてからっきし。
消去法の中でFと決めたのですが、やることも定まらないFは愚の骨頂。

そこで、逆転の発想でFを実現するため、一緒にやれる「仲間を探し」に
転職しようと決めました。

ただ、仲間を探すと言っても自分にもセールスポイントがないと困ります。
自分の最大のセールスポイントは誰からも嫌われない

「愛されキャラ」

でリクルート在籍中にその強みで築いた「先輩後輩のネットワーク」でした。
そしてそれは起業以来、ずっと私を助けてくれています。
自分の強みを最大限に活かすための旅立ちを始めたのです。

スマートソーシャル 酒井


2014年4月1日火曜日

第十二回 自己実現はどこでする?を考えた話

私が考えた
落合さんが「一番好きな事」とは
「自己実現」で

・プロ野球は結果が求められる競技
・一番大事な結果を出すために何ができるか考え
・世の中で常識と言われていることを疑い
・結果を出すために非常にフラットに時には逆から考え
・考えた事を実践すること

これがいわゆる
「俺流」
と言われ、時に嫌われることになるのではないでしょうか。

でなければ能力を嘱望されながら何回もいじめで高校大学で野球部の入退部繰り返すはずがない。
そして大学はついに中退してしまった。

「自己実現」するための道を探し続け、そしてその事が一番好きな事なんじゃないかな、と思います。

切り口を変えれば、自己実現を叶えるための手段が仮に一般ビジネス、IT開発、クリエイティブでもそれが他の何よりも出来たとすれば好きな仕事になったと思います。

余談ですが、落合さんは大学中退した後プロボウリング選手になろうと行った試験会場で交通違反をし、反則金の支払いで試験を受けれず、東芝府中で野球を続けることができたと。
当時社会人の中で同じ東芝グループでも弱小だった府中は彼の「俺流」
そう、「自己実現」を叶えるとしては「最高の場所」だったのです。


そして、彼は熱狂的なガンダムマニアでもあります。センスあったらアニメの仕事してたかもしれませんね。

ちなみに落合さんは79年にプロ野球に入りました。日本のプロ野球史上最大事件と言われる「江川事件、空白の一日」のあの年です。

この年、ジャイアンツはすったもんだの挙句、ドラフト会議をボイコット。
その実現しなかったドラフト指名の二位の欄には彼の名が。

後に彼は成功した後にジャイアンツに入団しますがあのまま新人入団していたらどうだったでしょうか?

規律と伝統を重んじ、異端を容易に認めない日本最高の歴史を持つ球団の「社風」では勝手に常識をゼロベースにする彼は単なる結果も出てないのに「変な奴」で終わったのでは無いのでしょうか。

そして運命のいたずらで入団したロッテは閑古鳥のなく川崎球場を本拠地とする野武士集団。プレーする選手より観客が少ないなんてことも。
ただそれでも彼のやり方は上層部から大分批判されたようです。
それでも活躍のチャンスがあったのは巨大な戦力を有するジャイアンツと違い「層が薄かった」からだそうです。使わざるを得なかったんですね。

彼が自己実現できたのも結果がともなったからで、「目先の仕事で結果を出し」「信頼を勝ち得て」いかなければそもそも「自己実現」なんてできないという話です。

その事を考えながら「どの場所」で何を成し遂げるかを考え続けました。

スマートソーシャル 酒井



2014年3月28日金曜日

第十一回 人生の岐路で落合さんの生き方を思った話

リクルートに入社してから
すぐに卒業後の自分の人生に直面した


自分が自分らしく好きで、楽しく生き生きとかつ社会に貢献できる仕事を行い生きて行くということのためにまずは自分のことについて考えました。
キーワードは「自己実現」です。

私が好きな人物の一人に
落合博満という野球人がいます。
最初の首位打者をとったその年から追っかけてますからかれこれ30年以上のファンです。

巨人戦しか中継のない田舎の片隅
で深夜のプロ野球ニュースを見るのが楽しみ。

ガンガンホームランを観客が全くいない川崎球場のライトスタンドに撃ち込む彼の姿は衝撃的でした。

現役時代は日本プロ野球史上唯一となる、三度の三冠王を達成、2004年から2011年まで中日ドラゴンズ監督として、すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本一に輝いた名将です。

落合さんとお会いしたことはないのですが、ご自身の著書やテレビでのお話、そして30年以上追っかけたものの勝手な私見として、

落合さんにインタビュアーが
「好きなものを仕事にされて良かったですね」

って言うと彼は全く予想もしないリアクションをされると思います。

落合さん
「それは違うな。野球が好きだから仕事にしたのとは違う。
自分が一番好きな事がまずあって、
その一番好きな事を実現するために
一番自分がやりやすくって、
そして結果が出て、毎日やっても苦痛じゃ無くって、経済的にも一番合理的な仕事って考えた結果、それが野球だから仕事に選んだんだよ。
そして、その野球をもっと上手くするために毎日練習をし続けた。
そして結果も出した。
野球をすることで一番大事な自分が自分でいることが出来た。
それが野球が好きって見られることじゃない?」


なんともご本人が言いそうなひねくれたものの言い方ですが笑(褒め言葉)

実に言いそうです。

現役時代、あまりにライトスタンドにホームランを打った彼。インタビューの度にコースを聞かれると

「アウトコース」と一言。

びびったピッチャーがインコースを攻めるたびにこれを仕留めてまたライトスタンドへホームラン。実はアウトコースが苦手な彼は得意なインコースのボールをライトへ(引っ張って)ホームランしていた話。

監督時代は対戦相手の全ピッチャーをチャートに書き出して全試合のシュミレート。一試合一試合ごとに一喜一憂する事をしなかったという人。

常識ではこれから本番前の調整に入るキャンプ初日に実践をさせてふるい分けて行った話。

私が思うに落合さんが「一番好きな事」とは
・プロ野球は結果が求められる競技
・一番大事な結果を出すために何ができるか考え
・世の中で常識と言われていることを疑い
・結果を出すために非常にフラットに時には逆から考え
・考えた事を実践すること

これが一番好きな事じゃないかな、と思います。

つまりご本人の言葉にもありますが

「自分が自分でいること」


そして、それを一言でいうと

「自己実現」

という言葉になるんじゃないかなと思います。

スマートソーシャル 酒井



2014年3月24日月曜日

第十回 起業に至るまで リクルートに入ってまず考えた事

ここまで学生時代と就活を通してどのようにして目標だったリクルートに入社するかを書きました。そしてその目標は達成でき無事入社することができました。

素晴らしいお客様や仲間、上司、先輩との出会いで芽生えた気づきなどはまた別の機会にてお伝えさせて頂きます。

さて、入社したその日から私には新しい目標ができました。
その目標への考察はリクルートを退職するその日まで続きます。片時も私の頭から離れず、常にあったその思いとは



「どのようにリクルートを辞めるのか」でした。


キープヤングを標榜するリクルートでは私が入社する時も事業部長クラスも30代と本当に若々しかった。

独立精神が豊富で起業家の気風にとむ社風。と同時に定年退職を迎えた人がほとんどいない会社。確か現在までも数えるくらいしかいなかったはずです。

ということは転職、起業は常に視野に入れておかなければならない。

確率論の問題ですがほぼそうなるとかんがえました。

何の足がかりもなく、

目の前のチャンスに挑み

自ら機会を求め

考えて入社した私には最初から自分の生き方について常に考える、という癖がありました。

(多分その頃私と過ごした方はびっくりされると思います。そんな雰囲気はおくびにも出しませんでしたが。)

逆に何も考えずその時を迎えて、いきなりセカンドキャリアを考えても自分自身の生きたいようには生きられない。

そんなに甘いものではない。
その日はいつか来る。確実に準備をしておかなければならない。

どのように準備するのか。

仮に起業するにしても、起業自体は一つの手段であってそれを目標としてはいけない。

入社して数年。20代前半で結婚した私は早いタイミングから家族をどう養うかが人生の中で大きな意味を持っていました。

「永遠のゼロ」ではないですが
まずもって生きていかなければならない。失敗は許されない。

また、生きて行く事だけにフォーカスし、
・好きではない事
・向いていない事
・苦手な事

に従事する事は絶対にやめようと考えました。

かえって無理が高じて事は長続きせず失敗するリスクも高まる。

自分が

自分らしく
好きで
楽しく生き生きと

かつ社会に貢献できる仕事を
続けて行きたいと考えました。

自分がしたい事、できる事、するべき事はなんだろう?

そして自分の特性ってなんだろうか?本格的な自分探しの旅が入社のその日から始まったのです。

スマートソーシャル 酒井


2014年3月20日木曜日

第九回 リクルートで学んだ大事なことの話

内定が出てからがは戦いの本番でした。当時は平成バブル全盛時。
元々メーカー就職には異常に強い高専。異業種のリクルートに就職したいっていうこと自体大変なのに、内定でた後からリクルート事件の報道が加熱。全国津々浦々にその知名度を赤マル急上昇させてる最中でした。

今では中学校の教科書とかに載ってるんで大学生のみなさんとかも歴史としてご存知かもしれませんが、そりゃーもう、大変だったんですよ。

全てのメディアが一斉に社名と未公開株譲渡について連呼してました。

毎日、朝昼晩、全チャンネルで連呼される社名はちょっと見たことないです。天下の公共放送でも。

あまりに連呼されるのでついに、社名も勝手に短縮されて
「リ社」
なんて表記されてました。略称でわかるってすごいですよ。
今では誰もが??て感じでしょうけどね。

その露出は一説によると広告費用換算で500億を超えたとか、越えなかったとか。。。

面接直後からキャンペーンはピークへ。その中であえてその会社に行きたいなんて言ったもんですからそれはもう想像を絶する説得や周囲からの奇異な目。

例の就職担当の教授に
「なんでそんな社会悪の会社に行くのか?」

って詰められたり

頑固な父親は
「お前は地元の⚪️⚪️機械に就職するのだ!!」

「⚪️⚪️機械は地域唯一の一部上場だ!」

「あそこはタバコのフィルターを巻く機械を作っているから安定している」

今考えたら凄いことですが、当時はタバコの関連は安定企業の代名詞みたいだったんですね。

ただ私にはそこで働くイメージはわかなかった。
いつまで行っても平行線だったけど、今回だけははじめて自分の意思を押し通しました。

自分の中にうっすら隠れていた、何かをやりたい成し遂げたいって気持ちに火がついたんですね。

「自ら機会を創り出し機会によって
自らを変え」

一歩踏み出したわけです

「入社後」

ほとんどのリクルート関係の方はこの項が長いんでしょうけど、入社前後中心のお話なので出来るだけ簡潔に要素をまとめたいと思います。

当然、いいことも悪いこともありました。思い出は美化されると言いますが、嫌なことですら懐かしい。
何でこんなにコミュニケーションが楽しいんだろうって思う人々の集まりでした。

前向きで、競争心に富んで、おせっかい。朝も早朝からだし、夜は毎日ミッドナイト、しかも飲みMUST。

毎日全員で朝から掛け声。
営業数字の確認はエチケットだし、
日常挨拶は

「お前最近売れてる?」

しかも志願して配属されたのは例の新規事業の中でも新規営業しかしないというその名も開発部。

数字、数字、数字、スピード、スピード、スピード。

いやもう今だったら立派なブラック企業と言うんでしょうか。理不尽なことだらけだったけど好きで、周囲の反対を押し切って入社したのだからそんな事考える気分にもならないわけです。

本気で叱ってくれる上司や、厳しいことをあえて言ってくれる先輩、切磋琢磨するる同期、後輩、部下。
何をするかよりも

「誰とするか」

という自分の原点はここにありました。

ほとんどを営業部署で過ごした事で一番学んだのは

「お客様を知る」

ということでした。

・業種、業態
・売り上げ、利益(簡単な財務諸表)
・従業員数
・取引先(お客様のお客様)
・事業内容
・提供サービス
・競合企業
・競合優位性(強み)

と言った定量的なものから

・成り立ち
・創業者の思い
・社風、風土
・評価基準
・社内コミュニケーションスタイル
・良く使われる社内標準語

と言った定性的なものまで。

大学に行かなかった私の全ての学びの場はそこにありました。

スマートソーシャル 酒井



2014年3月19日水曜日

大八回 東京のど真ん中で面接を受ける

面接会場はNKKビル。

日本の中心地。ぶっつけで面接を受ける田舎もんには十分すぎるくらい、ちびるロケーションにありました。

ただ、だからと言ってあせってもびびっても自分には後がない。想定シミュレーション含めてやることはやった。
あとは自分を出すだけ。

SPI、作文と課題は進みます。テストは拍子抜けするほど想像以上に簡単でした。作文は目をつむっても書ける。

問題の面接。

面接官は後でわかったんですが採用人事部長のAさんとマネージャーのKさん。

両方ともリクルートでは知らぬ人がいない有名人。

採用に命をかけた江副さんが一番力を入れた採用面接。こちらは学生生活、体育会でもなければサークルの長でもまして応援団なんて学校にはない。

ないないずくしとしては求めてる人物像に沿って自分を出しながら質問の意図を汲み取り先回りして答えて行く。

温和な顔のマネージャーKさんに対して苦虫を噛み潰した顔の部長のAさん。質問してくるのはKさんばかりで部長さんは腕組みしたり、履歴書をめくったり閉じたり。

これ、立派な無言の圧迫面接じゃないですか、って今なら言えるがその頃はそんな言葉もなかったし、知らなかった。

一人ロープレは繰り返ししてきたけど、この苦虫噛み潰しリアクションは全くの想定外。上がって当然な状況だけど、後がないので必死に考える。

それでも今客観的にその時の状況を振り返ってみればグダグダだったと思います。
ソフトな質問の中でも
・なぜ、部活をやめたのか。
・サークルで取り組み目指してた事
・勉強への取り組みについて
なんて厳しいところをグイグイついてくる。

それに対して、
・サークルでやった学園祭のイベント、
・友達とチームを組んで課題対策にあたったり先輩から情報収集しテスト対策を役割を振って行なった事で自分自身分析すると、

「一人では大した事ができなかった」

けれども、

「周囲を巻き込んで」皆で目の前の課題に取り組み達成した事。

という事実を自分なりに真摯にお返事しました。そう、自分自身のすべてをさらけだすしかなかった。ダサいなりにも先輩、友達と過ごした日常を思いだしながら「自分自身の言葉」で話しました。


面接が終盤にさしかかって

Kさん「ところで酒井君、なんでリクルート志望したの?」

待ってましたよ。

まさに自分が一番伝えたかった質問が来ました。

あとはもう隻を切ったように今までの感情をぶつけました。

・CMのメッセージにいたく共鳴したこと。

・自分なりに日々問題意識はもって行動しておりそんな姿勢がリクルートなら受け入れてもらえそうなこと。

・新しい価値を世の中に投げかけ世界が変わる姿をみたいこと。

・自分も身を投げ打ってその仕事につきたいこと。

つきつめると
自分自身が一番やりたいと思ったことがリクルートにはあったこと。


一気に話したにもかかわらず丁寧に聞いていただき、そして大きくうなづかれたあとKさんが最後に僕に
そう、何か確認するようにこう聞いてこられました。

Kさん
「ところで、酒井君て友達にとってどんな存在なん?どんな風にみんなに言われてるの?」

「(うつ)。。。。」
想像もしてなかった。
しまったな。。考えたこともなかった。自分は皆にとってどんな存在なんだろう。

グイグイ引っ張ってみんなをまとめて行くリーダーでも、

一目置かれる寡黙な実力者でも

黙って皆を支える縁の下の力持ちでもない。

ここで、とちったらすべてがパーになってしまいかねない雰囲気。

これはもう自分をさらけだすしかない。まっさらな自分を。

「あ、あの、」

Kさん
「どしたー」

「ムードメーカーと言いますか」

Kさん
「いうか?」

「あ、あ、愛されキャラです」

と告げるとKさんは声をあげておお笑いされました。
「ぶわっふぁふぁふぁ!!」

Kさん
「そっか、愛されてるんやなー、それは良かった、えーことやんかー。
うんこれで面接は終わりです。選考結果は学校までお伝えしますね」

あっけない幕引きで面接は終わりました。ただ部長のAさんは最後までほぼ一言も発しず。
(あれから社内報などでAさんの人となりを知りましたが人望厚く皆さんから大変慕われていらっしゃったそうです。)

大手町から東京駅までどうやって帰ったかもどうやって新幹線にのったかもまったく覚えてません。
ただその時窓の外から見た夕焼けが本当に悲しい色だった。

自分の人生このままどうなってしまうんだろうってただひたすら悲しくなったことを覚えています。

今でも新幹線に乗っての夕方。北に向かうともうだめですね。。


しばらくして学校あてに採用内定の電話が入るのですが聞いた瞬間にあっけに取られて気が抜けたことだけを覚えています。

スマートソーシャル 酒井


2014年3月18日火曜日

第七回 リクルート面接の戦略に基づく実践準備編

早速
Oさんとの電話による情報交換でリクルートが求めている人物像を分析し始めました。

求められる人物像と言ってもすぐにはわからないので、

ともかくOさんが上司、先輩から
日常受けられてるご指導と言うなの

「小言」

を聞き出しました。

ご指導ワード
「目標行くの?いくらまで行の?」
・これは目標指向性。
私の思い
(課題や試験、自分が苦手なところは周りのできる友達を巻き込んで
チームを組みレポート提出やテスト対策、自分で決めたことは全てクリアしてきた。その事実と元々は超負けず嫌いって事も伝えよう。)


ご指導ワード
「それっていつまでにやるの?」
・時間管理。
(レポートなど時間に追われるのは
嫌なので自分で締め切りも前倒して自分で決めていた。
いつまでにどのくらいのアウトプットを出せるかを常に意識しておかなければダメだ)

ご指導ワード
「何のためにそのアポあんの?
何しに行くの?だれに会うの?」
・行動の理由の特定。
(何のためにそれをやっているのかを常に聞かれる。考えて動くことが大事なんだ。)

その他、日常コミュニケーションについては

・元気
挨拶は
「うぃっす」「うぃっす」
体育会でハキハキしてる。
姿勢正しく。挨拶は全ての基本
(江副さんが応援団や体育会の主将を企業の方に採用するよう推奨していた。)

・聞かれたことに答える
コミュニケーション能力に
非常に重きをおくので、打って響くようでないとそもそも大丈夫?ってことになる。

・聞かれたことに
「考えて」答える。何も考えず単にノリで答えていると
当たり前だが単なるバカと思われる。皆、受験戦争を勝ち抜いているので自然にロジカルシンキングができてる。

ここまで収集し、

作文、面接、SPI(テスト)が
あるって聞いてましたので、
入社動機の作文は何回も
書き直して短時間でバッチリかけるように訓練しました。

面接は
自分自身で
イメージトレーニングをし、作文の志望動機と合わせて自分が入社した場合にどのくらいの貢献ができそうかをいろんな方向でシミュレーションしました。

SPIだけは
当時、地元の本屋に問題集売ってるわけでなく、ネットもないところで
出たとこ勝負。
性格診断の他に国語や数学が出ると聞いたのでこの点、基礎学力でダメであればそもそもしょうがない、
自分には無理だったんだと腹をくくりました。

そして面接に臨んだわけです。

会場は皇居のお堀の端。ジャイアンツの選手が年俸更改するパレスホテルの向かい。

NKKビル。

鉄は国家なり。

鉄鋼大手のビルを半分借りている。

しかも場所は日本の中心地大手町。

田舎もんには十分すぎるくらいのシュチュエーション。

ニッポニアニッポンとは
我が故郷、新潟は佐渡に生息するトキの学術名ですが、

大手町

そこは日本の中の日本だったわけなんです。

スマートソーシャル 酒井